2010-01-01から1年間の記事一覧

「梅棹忠夫語る・あきらめたらあかんのです!」聞き手小山修三

“梅棹さんも亡くなったなあ”というブログを書いたのが、7月26日であった。この方とは、公の付き合いはほとんどなかったのだが、「長江下流域総合考察団(831127-1211)」の旅で、ご一緒させてもらった。旅の間中、梅棹さんの「寝酒セミナー」が続いた。夕食の…

メガネから始まった、変な、私の病気の話 

<始まりはメガネから> 11月の中頃、遠近両用のメガネが、遠方が全く見えないので、クルマの運転時などははずさねばならず、面倒で困っていた。しかし、「何時までも生きるわけではないから、これで我慢しようか」と考えたり、「もう一度メガネの度を測っ…

“たべもの”の言葉 あまい・やわらかい?

吉田健一だったと思うが、食べ物味は「弾むような歯ごたえと旨味だ」と書いていたように思う。少し乱暴な思い出し方をすると、「酒も同じだ。口に入った時に感じる旨味と、飲む時、鼻に抜ける香りだ。酒は水みたいな口触りがいいんだ」といっていたように思…

スタートで遅れても、丁寧な仕事をしていると取り返せる

民業としてのコンサルタント業が発生する時の、一人のオチコボレ側の参加者としてやってきて、結構楽しみながら仕事をしてきた。当時は、この仕事は役人と、学者の世界だったが、「契約」という仕組みを通さずのやっていけない状況が生まれつつあった。従来…

何時もノロマだと云われて育った

兄や姉から、何時も“ぐず”だと云われていた。ぐずを新明解で引いてみると、「決断力に欠け、てきぱきとした動作が出来ない様子(人)」となっている。 しかし母親は「お前は“丁寧者”だ」といってくれていた。畑の草取りでも家の中の掃除でも、小さい草まで気…

転社はしたが転業・転職はしなかった→ずっとコーディネーター業

九州に来た頃、高名な大学教授から「糸乘さんの仕事って、どんなことなんですか」と聞かれたことがある。 私は「始めは編集屋でね、次は土建屋で、次が計画屋・事業推進屋で、大体今も続いているんです。まあ、今様の言葉で云うとコーディネーター、早い話、…

缶詰・沖縄珍味パーティー 11月6日

「私営歓送会」などといっているが、まあ早い話葬式のつもりでいる。昔の人は、いろいろな節目ごとに“ケジメの節づくり”のようなことを行って暮らしていた。だから、そこそこの歳になると、余りむさぼるようなことがなかったような気がする。といっても、私…

時代状況を知ることこそ、指導者の役割だ

時代状況からすれば、いずれ尖閣ビデオは流出するものだ。「何時どんな形で出てくるのか」とおもっていたら。、あまりにも早く出てきて驚いている。 この早さは、民主党政府があまりにも国民から大きく乖離していることから起こったものだ。 国民を意識して…

“大本営発表”だけで国民を引きずり回せるとおもっている

労働組合といっても、官公労や大企業の組合と、小さい企業の組合は思考回路が全く違う。前者は自分の存在(給料の源泉)についてはなんの心配もしない。後者は、自己主張とは自己の存在基盤を固めることでもあるのだ。 私は小さい会社の倒産時に、組合委員長…

民主党政府は、戦前の陸軍と同じだ

いずれ尖閣ビデオは流出するものだ。「何時どんな形で出てくるのか」とおもっていたら。、あまりにも早く出てきて驚いている。 今の政府は、国民は管理して締め上げればいい存在だと考えている。尖閣ビデオ流出問題で、彼らは中国政府の立場や民主党政府の立…

池部良、水木しげる論 私の兄への鎮魂歌

私は長兄と15才離れている。1983年になくなっている。池辺や水木と同じ方面の、ラバウルで大砲の破片が、上顎左から入って口中を通り、下顎の右へ抜けている。アゴが壊れ、シタが切れているので何も食べることは出来ず、砂糖のかたまりをもらって嘗めながら…

何度目かの私営歓送会−この世から浄土へ

死んでから葬式をやってもらった時の、喜びや充実感などの感じ方を身につけていないので、生きている内に親しい人にあって、話したりお礼を表現したりしたいと思っている。オチコボレだから、能力がないのである。 「おつまみ缶詰酒場」という本がある。これ…

久しぶりに、よいそば屋に当たった(10/26)朝霧の庄

写真に撮っていないのが極めて残念である。カメラをクルマの中においたまま食べに行くので、写真を撮れないことが多い。ケイタイは持っているのだが、使い方がよく分からない。なんとか買い換えて、ケイタイからブログのページに送れるようなことにしたい。 …

[孫]戦争体験の一番厳しいのは戦後にやってきた

ある日の午後、「先生が全部抜け出して映画を見に行ったぞ」という声が流れてきた。戦争後の11月頃だったような記憶がある。ヒョッとすると、翌年だったかもしてない。どこのクラスにも情報通の生徒がいると思うが、彼が「今日は午後自習だぞ。先生はみん…

ため池の会の仲間、伏見万福寺にて2004.02.11

これは6年前の、久しぶりの半分集合(全員までは無理)ぐらいの道楽です。もうこの世にいない人もいます。みんな懐かしい。 そのメンバーで普茶料理を食べました。食事マナーとしては行儀のいい写真ではないが、「写真を撮るより箸を取る」手合いなので、お…

私の生まれた家 昭和10年頃

この写真は「神鍋観光60年史」の扉ページの写真の一つです。馬の右側の雪の小山は、積もった雪と屋根から落ちた雪が山になったもの。私の生まれた(写真の1年後)家は小山の右側なので写っていない。母屋の鍵の手に2階建ての離れがあったので、この写真の目…

古希の同窓会 2007年10月20日

全員が71才です。満年齢というややこしいことになったので、云いにくいが、昭和17年一緒に幼稚園に入り、18年4月には「国民学校一年生」になった仲間です。 三年生になったときには、家から学校まで「肥タンゴ」を持って行き、学校の便所から汲んで、二…

狐のたくらみ

私の読書体験に第一位に上がる本だ。大阪に勤めていた8才上の次兄が送ってくれたモノである。昭和22年の発行だから、私は小学5年生だったことになる。 一読、訳が分からなかったような記憶がある。それが、今思い出させる理由にもなっている。 動物国の…

池部良と牛肉の大和煮缶詰--戦争に対する私の気持1

池部良のことを書こうと思ったので、「牛大和煮」という缶詰を買ってきた。10月7日である。それをブログに入れるために、写真に撮ったのが9日である。ちゃんとトリミングして載せるつもりだったが、それがうまくできない。やっと、解像度補正だけ出来た。 …

しだれ桜が咲いた 天候異変10月7日

上の写真は、去年の3月30日のしだれ桜。下は今年の10月7日。ついにしだれ桜まで、季節に迷った。 実は、わが家のしだれ桜は、4月10日頃が満開なので、この写真は少し早すぎます。

「親が死ぬまでにしたい55のこと」という本があるそうだ

実はこの言い方が気になる。子供の頃から、親に対しては「してあげる」という言い方で生きてきたので、「したい」では自分が主体的すぎる。つまり、「金がどこにあるか探って、取り上げておく」ようなことに感じる。 母親はまだ死ぬとは思えなかったし、姉の…

可也山のカニ

このブログのトップの写真が可也山です。8月4日に登ったとき、300メートル辺りで小さなカニを見つけました。それ以来カニの拡大写真を載せようとして、2ヶ月かかりましたが、この程度です。なんとかカニらしきモノが見えませんか。 このカニがいた辺りは…

彼岸花異変

写真は、去年と今年の彼岸花です。上が去年の9月14日で下が今年の9月27日です。 ] 咲き具合のこともあるので、日数だけ違うとはいえないが、同じ株に咲いた花が、10日以上違う。 とにかく今年は「暑かった」と云いたい客観データです。

クニを守るより消費を守れ 現代日本の思想

先ず海上保安庁などという面倒を起こすヤツがいけない。もちろん自衛隊だとか国防軍などは消費の妨害者だ。中国が文句を言うような問題は起こすな。飲んだり、食ったり、遊んだりするのに邪魔だ。なに、日本なんて総理大臣と官房長官だけいればよい。いや間…

消費主義国日本 現代日本の思想

消費だけ考えて、楽しくやっておれば消費者にモノを売りたい奴、サービスをしたいヤツがやってきて、生産を始めるのだ。一に雇用、二に雇用、三に雇用だ。とにかく借金をしてそのツケは次の世代に任せ、楽しく消費をしよう。 こんな考え方は、1980年頃までは…

②オチコボレから逃げようと思うな。オチコボレのプライドを持て

オチコボレという立場は、一端なったら受け入れざるを得ないと思った方がいい。それがいやなら、始めっから慎重に世間多数の態度で、多数意見に従うべきだ。常に世間の様子をうかがい、KY=空気が読めない、などと云われないようにすべきだ。 オレは空気を…

①就職試験の受験法を孫に告げる

おじいちゃんが、「仕事って何が自分にむいているか、分からんもんや」といっていた。「どんな仕事でも面白いかも知れん、好きになれるかも知れん、と考えて続けてみることがコツだよ」といっていた。「おじいちゃんはオチコボレだったが、それでもなんとか…

絶対雑音欠乏症音感

ちょっと原稿を書いていて、夜中に少しコーヒーを飲もうかと思って、お湯を沸かしている間にテレビを付けた。機関車が颯爽と走っている写真である。よく見ると、近畿地方の田舎を通っている写真だ。私は山陰のレールのない田舎の生まれなので、懐かしい気分…

朝7時過ぎに出発して、水無登山口の駐車場から8時過ぎに歩き始める

11日朝、登山口の駐車場を見つけるのに手間取って、出発が遅れた。が、頂上には10時前に着いた。一人登山だったが、まあよい山だった。 狐のカミソリの多い水無谷ルートを上った。花は咲いた後で、球根が露出したり、種の部分が着いていた。帰りは井原山自…

12日の午後、ものすごい雷の音。家が振動し、ハラに響くような

雷の音が、しばらくした後で、急に大雨になった。今年の7月始め以来の大雨。これで猛暑の夏は一服。