スタートで遅れても、丁寧な仕事をしていると取り返せる

 民業としてのコンサルタント業が発生する時の、一人のオチコボレ側の参加者としてやってきて、結構楽しみながら仕事をしてきた。当時は、この仕事は役人と、学者の世界だったが、「契約」という仕組みを通さずのやっていけない状況が生まれつつあった。従来の公共事業ではない、型が決まっていないが期限があるプロジェクトが大量発生したのである。東京オリンピックは、一応、学者、著名建築家、役人とゼネコンでやったが、大阪万博は「商売」の要素が多く、契約が多岐にわたることになった。
 ということは、「お金をもらって何かを納める」ということとなる。当時の我が社のメンバーは、インサイダーとしての「役人、学者」側の感覚しかなく、権力と関わりのないアウトサイダーの立場が分からない。この連中をしつける=原価管理意識を持たせるのはオチコボレぐらいしかできなかったのではないか。
 こんな立ち位置だってので、役人や学者の中にも「気にはなる」程度の人たちがいて、私の立場に同情し、評価をしてくれることもあった。オチコボレにも取り柄はあるということのようです。
 今はオイボレ一人で、畑とも果樹園のつもりとも、雑草地ともいえるようなところで、孫に残すメモと、平凡な果樹を作っています。アマナツのひときわ旨いのが取れます。