仕事

スタートで遅れても、丁寧な仕事をしていると取り返せる

民業としてのコンサルタント業が発生する時の、一人のオチコボレ側の参加者としてやってきて、結構楽しみながら仕事をしてきた。当時は、この仕事は役人と、学者の世界だったが、「契約」という仕組みを通さずのやっていけない状況が生まれつつあった。従来…

何時もノロマだと云われて育った

兄や姉から、何時も“ぐず”だと云われていた。ぐずを新明解で引いてみると、「決断力に欠け、てきぱきとした動作が出来ない様子(人)」となっている。 しかし母親は「お前は“丁寧者”だ」といってくれていた。畑の草取りでも家の中の掃除でも、小さい草まで気…

転社はしたが転業・転職はしなかった→ずっとコーディネーター業

九州に来た頃、高名な大学教授から「糸乘さんの仕事って、どんなことなんですか」と聞かれたことがある。 私は「始めは編集屋でね、次は土建屋で、次が計画屋・事業推進屋で、大体今も続いているんです。まあ、今様の言葉で云うとコーディネーター、早い話、…

②オチコボレから逃げようと思うな。オチコボレのプライドを持て

オチコボレという立場は、一端なったら受け入れざるを得ないと思った方がいい。それがいやなら、始めっから慎重に世間多数の態度で、多数意見に従うべきだ。常に世間の様子をうかがい、KY=空気が読めない、などと云われないようにすべきだ。 オレは空気を…

①就職試験の受験法を孫に告げる

おじいちゃんが、「仕事って何が自分にむいているか、分からんもんや」といっていた。「どんな仕事でも面白いかも知れん、好きになれるかも知れん、と考えて続けてみることがコツだよ」といっていた。「おじいちゃんはオチコボレだったが、それでもなんとか…

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 3

?税金を出来るだけ少なく、遅く払うこの為の追求が原価管理の元になったし、経営上最も有効に働いた。 1968年にマネージャーとなったときの事務所は、全くマネジメントの意識がなく、「成り行き丼勘定」だった。象徴的なことは、業務委託の期間が終わっ…

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 2

経営を安定させて、いざというときにも、給料を払えるようにしておきたい。 27歳の時の倒産経験が、このもとになっている。 社内留保が大きくなると、それだけ経営が安定する。本社ビルなどを持っていると、イザというときには、貸しビルにしたり、売りに…

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 1

役人嫌いの根源について書きたい。 働いている期間のほとんどが、小企業の経営者だった。その時のポリシーは、3点ある。①世間並みの給料は払いたい。基準は「県庁の職員ぐらいは」であった。②経営を安定させて、いざというときにも、給料を払えるようにして…