転社はしたが転業・転職はしなかった→ずっとコーディネーター業

 九州に来た頃、高名な大学教授から「糸乘さんの仕事って、どんなことなんですか」と聞かれたことがある。
 私は「始めは編集屋でね、次は土建屋で、次が計画屋・事業推進屋で、大体今も続いているんです。まあ、今様の言葉で云うとコーディネーター、早い話、自分は何もせずに、人様の仕事を組み合わせて“でかし上げる商売”です」といった。すると「コーディネートを成功させるポイントはなんですか」と聞かれた。
 これはなかなか応えにくい質問だ。ぐだぐだ言っても仕方がないから「ウソを言わないと云うことでしょうかね」と応えた。「なるほど」と、一応納得したような顔をしてもらった。
 こんなことを思いだした切っ掛けは、新聞2ページに渡る広告を見たからだ。
 それを少し引用する。「再開発推進派の町会長と反対派の副町会長が殴り合い寸前になった時、とっさにメガネを外して『代わりにぼくを殴ってくれ』と割って入ったこともあった。」「喧嘩をしても必ずしも溝が深まるわけではなく、お互いにそこから何かを感じる」「最後まで残った反対派のリーダーが新聞の取材を受けた時のこと、再開発の苦労話や森ビルの悪口がさんざん出尽くしたところで、『ではどうして再開発が出来たと思うか』と聞かれて、こう答えたそうだ。『森ビルは決してウソをつかなかったからな』」
 久しぶりに再開発事業を思い出した。