2016-01-01から1年間の記事一覧
“フィデル・カストロ”と言えば、なんか特別な感情がわいてくる。チェ・ゲバラについても、三好徹だったかの伝記も読んだし気に入っている。巷間でもゲバラの方が人気が高いようだが、私はカストロが好きだ。おそらく、国民から嫌われていたバティスタを倒す…
一瞬にして、みんなが10歳ぐらいの子供の気分になっていた。我々の同窓会は、国民学校から小学校、新制中学校、もう一つ以前の幼稚園まであって、10年間一緒に過ごしていた。70年たった今でも、瞬間的に“チャン”仲間になる。この頃の10年間の仲間というもの…
“手前みそ”と言われるだろうが、私の文章は分かりやすいといってくれる人がいる。その訳は、京都で仕事をしていたころに、私の文章を隣のあたりの女性の事務所員に読んでケチをつけてくれるように頼んでいたからである。それに近いことは、25才で編集屋に就…
韓国で、また大統領批判が起こっている。理由は公的権限を私物化したということになっている。しかし韓国のモラル基準では、役人として出世した場合に親族のオジサンなどが、「仕事を回せ」などと云ってきた時“それを拒否”しにくいと聞いた。もしそれを拒否…
野村萬斎はすごいと思う。以下はネットを見ていて見つけたものだ。 「狂言師にとってなぜ狂言するかという問いは、他人になぜ生きているのかと問いかけるに等しいと思うんです。なぜ生きるかを知るためには、今日を生きるしかない。」 息子は「なぜ僕は狂言…
久しぶりに臼淵大尉を思い出した。吉田満の「戦艦大和の最後」を若い左翼かぶれのころ感動して読んでいた。 「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩というものを軽んじてきた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩…
防衛大臣という軍の最高指揮官を、変な女性がやっている。 彼女は決断力最低人間らしく、話す言葉の一語ずつに“アー”“ウー”“イー”“エ―”を付けないとしゃべれない。尖閣諸島でコトが起こった時に、“アー”“ウー”“イー”“エ―”と云っているうちにコトは終わってい…
この集落の隣組の組長をしておられるSさんが来られて、初めて少し話し込んだ。昭和16年のお生まれだそうで、私は11年だと告げた。少し雑談を続けているとき「11年生まれだと戦争中のずいぶん苦しかったことを覚えているでしょうし、我々以降の世代と感覚が…
歴代天皇で初めて、床に膝をついて、同じ目線で避難民を見舞った(1991年7月)。 長崎県の雲仙普賢岳噴火の際に、床に膝をついて避難民を見舞われた。膝をついて被災者と直に話をするスタイルは、今上天皇が皇太子時代にはじめたことであり、それまでは天皇が…
1975〜80年頃だったかなと思うが、都市再開発コーディネーター協会を作ろうという相談で、浜松町から御成門のあたりのホテルで、よく泊まった。「面白い宿がありますよ、とたれかに教えられて、芝公園の中に、こそこそと入るといった感じで少し入ると、昔風…
パイプが錯綜している地下空間の写真を見たとき「これはアカンな」と思った。 この状況には、誰一人として「このようにしたい」という主観をもって関与している(自我関与)人がいないということを示している。平面部分に捨コンがあるということは、何らかの設…
平成天皇と昭和天皇の立ち位置で、最も違う点は「男女同権」ということと、「基本的人権=人権平等」と云うことだ。もちろんこの順序は逆に言うべきかもしれないが、現実的には「男女同権」が先だったのではないか。私はいろいろな活動の場面の天皇の態度を…
戦争責任について日本政府が、韓国や中国などの外国にばかり謝罪して、日本国民に「何も云っていない」ことに最も不満を持っている。あの戦争中に、軍官僚(参謀部など)が政治を左右し、ほんの1〜2年程度のことしか考えずに戦争をはじめ、大勢の若者を徴兵し…
昭和天皇は何となく苦手で、平成天皇に親近感を覚えている。年配層の人は、昭和天皇の存在感の大きさについて特別なものを感じるという人が多いが、私は今の天皇が「平成流」を確立していかねばならないという状況に向かわれた苦労の方が、大変だったと思う…
市町村の委託で、まちづくりのコンサルタントをする時、その地域の土地柄・人柄をどうみるかということが、検討の第一歩となる。これが本来ではあるが、別のアプローチをする人もよく見てきた。それらは次の二つのタイプだ。 ①まず秀才型の人は、早く方向を…
オチコボレ流は、大体の場合、有利なポジションだ。この位置は、早く大幅な成果を誇らねばならないことはない。じっくりと取り組んで、着実に歩けばいい。秀才より圧倒的に有利なポジションだ。 ・秀才の弱点は、考え始めるとき、能率よく進めようと意識する…
台風のコースは最悪ともいえるコースをたどったが、スピードが遅く、その間に衰えてしまったので、全く影響がなかった。当初の予想より1日半ぐらい遅くなったわけだ。 最近台風関連の天気予報をテレビで見ていて、あまりにも“おざなり”な内容に驚いている。…
中津では5〜6人の人に、オチコボレ論を話した。主なキーワードは次の通り。 ・オチコボレ流 オチコボレは、他人より仕事時間が多くてモライが少なくても我慢する。 道が悪くても、文句を言わずに、それなりに楽しく歩くように努める。 脇道はブッシュやイバ…
2日、3日と中津へ行ってきた。久しぶりに、福沢諭吉の「痩せ我慢の記」をもっていって、いろいろ「わが過去」を思い出していた。 3日の夕方に12号がやってくると思って心配していたが、鈍行になっている。2戸とも雨戸を全部閉めて出かけたが、今までのとこ…
午前は周辺片付け、廃材、小枝などを燃やした。こんなことができるような気候になったのだ。午後は雑草刈り。そのあと、散髪に行き、風呂でシャワー。今朝は少し筋肉がつかれている。いい気分だ。 今朝も、安久谷に次いで熊本地震。ここもかなり揺れた。いつ…
正午の糸島の気温は26℃、湿度65%ぐらい。やっと落ち着いた日々になりそう。
高校時代、マルクスかぶれ、左翼かぶれだったので天皇制反対だった。古事記や日本書紀は非科学的だからバカにしなければならないという空気に染まっていた。古事記や日本書紀を読まず、解説だけ聞いて、科学教信者にしこまれていた。 しかしある時、“伝説”を…
今年の2月、埼玉県で、83才の夫が77才の認知症の妻を殺害したとして逮捕された。彼は無理心中を図ったのだが、自分は生き残ってしまった。警察は彼を逮捕し、医師と相談の上入院させたが、取り調べにも応じず食事もとらなかった。点滴などの栄養補給も…
この本は、発行された時すぐに読んだ。事故や骨折などいろいろなことがあったのち、母親がある時から「ごちそうさま」と云いながら、全く食事に手を付けなくなり、息子とその妻はあわてる。母親は以後食べなくなり、医者は栄養剤を打ちましょうかと云って、…
幸島のサルのことで、最も印象に残っていることは、去年生まれた(そこで観察している京大の人に聞いた)1才の子ザルだ。砂浜に撒かれた麦を手で浚えて、砂浜の少し低いところを、水深1〜2センチぐらいで流れているところの運び、水の上に広げたことだ。彼…
アホやなあ 荻野孝容の口癖。思い出を書いておく 「君はいいヤツだなあ」という意味。この言葉を聞くと嬉しかった。彼のなくなった頃の手帳が出てきたので、メモの整理を残しておく。 彼から遺書のような分厚い手紙が届いたのは1983年4月19日のことだったが…
善光寺の貫主が「職員を卑下して」、……日本語水準がひどすぎる。
とりあえず思いついたのが大分県の高崎山のサルたちだ。それはこのブログの5月28日に書いた。その時の気分が不十分だったので、幸島のサルを見に行くことにした。こちらには「京都大学野生動物研究センター 幸島観察所」がある。連絡を取って、其処の方に話…
舛添知事の言葉の中で「公益を損なう」と云うような言葉があった。リオ五輪の「旗受け取りに私が行かねば」損なうという意味だった。 彼の公益の主体は「権威」のようだ。東京都のような権威ある都市のメンツを守ること、都知事のような権威ある立場の人間は…
東京都知事の辞任が決まったようだ。この件では、テレビの番組をよく見ていた。その中で、舛添さんが「みんなのいう基準が分からん。そもそも国の金を有利に取り込むのは“才覚”の範囲内ではないのか。つまり“カシコイ”と褒められてもいいことにコセコセ云い…