はやぶさ2オーストラリアの砂漠に帰ってきた。6年前から。今後11年かけて次の星へ        201206

中学1年の時だったか、次兄に天体望遠鏡のレンズセットを送ってもらった。対物レンズと接眼レンズ(レンズ2個でセット)が入っていた。蔵の中を探しまわって、手ごろな反物の筒を見つけた。厚紙を買ってきて、対物レンズのカヴァーと接眼レンズの細い筒を作って、反物の筒の内側でスライドできるようにした。早速外を見たが、天体望遠鏡なので上下が逆になっている。

夜になって星を見たがあまり変わらない。対物レンズの口径だけ光の量が違うが、60倍程度では少し明るく見えるだけだ。ところが月が出てきて、それを見ると感動した。月一面にカルデラが見えた。太陽系の惑星とほかの星とを比べてもそれほど明るく見えることもなく、月だけがよく見えて、これを友達に見せたくて、いろいろ誘ったが「月のカルデラを見て何するんだ。そんなことは知っている」と云うばかりだった。なぜ人はこんなことの興味を持たないのか不思議だった。

この不思議さは、幸島の子ザルが「麦を水に浮かべて素早く食べた」という話でも同じだった。誰も興味を示さない。

寒い雪の降り積もった中で、家の前の電柱に望遠鏡をくっつけて固定しながら、月面を見た時のことと同じだ。私も世間も70年経ったが変わらない。

幸島の子ザルのお話は(オチコボレ流ブログ、160606)所収。

受け渡し講演会   201015

 10月9日に大阪アルパックへ話をしに行ってきました。身体の調子は不十分で自信はなかったのですが、私自身が、多くの先輩から、大げさに言うと、人類の知恵をいただいてやっと生きてきたのですから、少しでも次の方々へ渡さねばならないと思い、決意して酸素ボンベをもって行ってきました。

  鼻に酸素の管をつけるのは格好が悪いですが、自分の実力に合わせるしかありません。ありがたいことに、アルパックの所員や昔から関西で遊んでいただいた方々(東京、名古屋方面も)にも参加して頂き20人ぐらいの方々にお会いできました。思ったことが全部話せた訳ではありませんが、ZOOMとかいう仕組みもセットされていて、遠くの人とも言葉を交わせました。

 残念だったのは、私の体力が足りず、個別の方々との会話が出来なかったことです。もともと無駄話大好きな私には、残念でした。

 後は自分なりに伝えたいことを印刷して、配ることです。お金がないので、仕事にかかわることまでは印刷できない。まあ、一応配れたら、任務完了と云った気分です。

20世紀・余命

この糸島では、20世紀ナシが小ぶりのもので398円、普通(決して大きくはない)で498円もする。このあたりの人は幸水などという茶色のナシを好んでいるし、その方が大きくて少し安い。だが私は子供の頃の記憶から逃れられず、酸味のある20世紀が好きだ。「酸味のないのは果物ではない」と言って、我が家のアマナツを誉めてくれた人もいる。

という訳で毎年1個だけ買うことを許可してきた。しかし去年の秋から体調が悪化して、息切れがひどくなり出した。決意して福岡山王病院に行ったところ、“肺気腫”などという病名を貰ってしまった。これ以外にも肺にかかわる病名も付いた。肺気腫をネットで検索してみると「余命は……」という説明が出てくる。「そういうことか。ならば少し優しくしてやろうか」と思って、鳥取に20世紀ナシを注文した。

私の生まれは但馬の国だが、隣の因幡の国が20世紀ナシの産地で、但馬まで産地が膨らんでいる。戦前も食べたが、但馬西部地域仕事でよく行ったので、買ったり送っていただいたりした。