豊島園と聞けば、「シルバーヴィラ向山・岩城祐子さん」

1980年代の初めごろ、日経新聞の最終面に載った記事を、東京から送ってもらった。その記事に感動して、東京に行った時に話を聞きたいと思って記事を取っておいた。東京出張の日程を見定めて、電話でアポイントを取って訪ねた。

私は隠岐の島の仕事をした1970年頃から、将来の都市の老人問題に関心を持ち始めていたので、勉強のつもりだった。意外と簡単に会ってもらうことになって、電車で「豊島園」へ出かけた。豊島園は駅と正面の辺りを見ただけだが、この名前は「シルバーヴィラ向山」と結びつく。

受付のあるフロアーは、一寸したホテルのロビーか、ゆったりした喫茶店のような感じだった。ほどなく岩城さんが出てこられて、そこの4人用のテーブルに座って話が始まった。すると我々のところに、一寸小柄な老人がやってきて、われわれを見つめたり、私の顔をのぞき込んだりする。私が困っていると岩城さんが「何も気にしなくてもいいのよ。この人は何も気にしていないし、分かっていないから」と言われる。といわれても、20~30センチまで顔を近づけて、覗き込まれたりすると気になる。

話は続いて、「もし老人ホームをおやりになるなら、こういうボケた人を大切にしなさい。優しくしなさい。誰でも年を取ったらボケるのですよ。こんな人を大切にするのが経営のポイントなんです。みんながね、自分がぼけたとき大切にしてくれるかどうかをよく見ているんですよ」と言われた。

「歳を取るとね、友達を呼んだりして話をしたいんですよ。でもね、喫茶店に行ってコーヒーを頼むとお金がかかる。ここは、何人お友達を呼んでも、コーヒーをお出ししているんです。すべて無料です。そうすると気楽にお友達を呼べるでしょう」と言われた。とにかく経営マインドの強い人だと思った。

後で調べてすぐわかったが、この方は、私立幼稚園を経営して格好のいい制服を決めて評判を呼んだり自動車教習所、タクシー会社などを経営する女傑だった。

「一歩踏み出せ! 出直しが人生を面白くする」という本が日経新聞から出ている。その中に、「女は始めからリストラされている」という言葉が出てくる。「だから自分で仕事を作って働いてきたのだ」というお考えだったのだろう。

とにかく変な因縁だが、豊島園は、私にとって「しゃれた老人ホームにつながっている。

 

 

 

松浦のアジフライの想い出が二つあります

一つは1990年代だったか2000年頃だったか、平戸や松浦に通っていた。その時、時間的ゆとりもなかったので、唐津をすぎて台地に上がったあたりで、左側(丘側)に喫茶店があって、「 何処も別に旨いところがあるわけでもないし」という気分でそこに入って、一応ポピュラーなアジフライ定食を頼んだ。

ところが、一口食べてびっくりした。フライの揚げ具合と言い、コロモの適量感覚と言い、抜群の旨さだった。相棒とうなづき合って「これは当たったね」と云った。こうなると次から松浦方面の仕事が楽しみになる。必ずこの店に入った。ところが3~4回行った頃にお店が無くなってしまっていた。その経験があったので、なんとかもう一度「松浦のアジフライ」を食べたいと思っていた。

もう一つの体験は、松浦市からいただいているメールでアジフライの宣伝があったので、去年の5月に、人を誘うには確証がないとダメなので、一人で出かけた。「少し酒も飲むかもしれん」と思って前原駅辺りの駐車場へクルマを置いて、延々と電車で行った。たどり着いて、大変な期待をしてアジフライとアジの刺身とビールを頼んだ。

喜び勇んでアジフライを一口食べた途端に「こりゃダメだ」と思った。フライになっていない。もちろんアジの立派な大きさの、パン粉をまぶしたフライのような形のものではある。フライと云うものは「アブラ切れが良くない」のはダメだ。口に当たった時に「ベトッ」とすると「もうだめだ」。フライにして口当たりがよくて、「カリッ」としたものでないと悲しい。これだけ大きいアジのフライの調理方法は、どれくらい研究していたのか。

まる一日かけて、クルマで行くより、かなり高い交通費(この路線の電車賃は高い)をかけて行ってガッカリだった。

わたしは、魚の内で一番うまい刺身はサバだと思っている。ところがブランドだと云って威張りだすとひどくなる。福岡の仲間と十余人で「関サバ」を食べに行ったことがあるが、鹿児島の卸売市場の横にある「市場食堂」のクビオレサバの方が上だった。そのうえ、値段が何倍も違う。大分で出されたサバは「関サバというもの」程度で、歯ごたえも頼りなく、旨い鯖ではなかった。

最近近くのスーパーで「鯖ちくわ」と云うものが出ていた。結構うまい。

台風10号の予想コースが、我が家にとって最悪予報

今回の台風のコースは、我が家にとって最悪だったが、今は“台風一過”で明るい空だ。テレビのニュースでは「直撃」とか「上陸」を、大騒ぎで放送するが、直撃になると私は少し安心する。ところが今回は、西側をとおり抜けていった。

この家の小窓以外は雨戸がついているが、この台風には小窓の養生も必要と思って、風呂場の窓などにも養生をした。ついで、風呂に地下50メートルの水を汲んだ。もう一つ思いついたのは「停電もあるかもしれない、二・三日分のゴハンを焚いておこう」と思ってスーパーでコシヒカリの新米を買ってきた。ところが幸いにストーブ用の小さい煙突が倒れたぐらいだった。

今朝は、残ったゴハンを食べたところ、冷や飯の旨さを思い出した。子母澤寛は冷や飯の旨さに目覚めて温かいご飯は食べなかった。女中さんにとっては、冷や飯が無くなっていると、急いで炊いて慌てて団扇で扇いで、急いで冷まさねばならず、苦労したという話が残っている。

黄河大洪水と黄河断流

 現在は、黄河は大洪水だが、1990年代には「断流」が問題になっていた。丁度その頃、日・中・韓の研究者の交流で済南に行ったことがある。

 その時、黄河断流が問題になっていたので、中国古代から大河が「そんなことが?」と思って、交流の合間に抜け出して、一人でタクシーで見に行った。その時は少し流れているところがあったが、それでも「水がほとんど見えない大河」は壮観だった。もちろん声をかけたが「見て何か意味があるのか」と言って誰も関心を示さなかった。

 この中国は、黄河と長江などと、どう付き合うのだろうか。

黄河大洪水と黄河断流

 現在は、黄河は大洪水だが、1990年代には「断流」が問題になっていた。丁度その頃、日・中・韓の研究者の交流で済南に行ったことがある。

 その時、黄河断流が問題になっていたので、中国古代から大河が「そんなことが?」と思って、交流の合間に抜け出して、一人でタクシーで見に行った。その時は少し流れているところがあったが、それでも「水がほとんど見えない大河」は壮観だった。もちろん声をかけたが「見て何か意味があるのか」と言って誰も関心を示さなかった。

 この中国は、黄河と長江などと、どう付き合うのだろうか。