「親が死ぬまでにしたい55のこと」という本があるそうだ

 実はこの言い方が気になる。子供の頃から、親に対しては「してあげる」という言い方で生きてきたので、「したい」では自分が主体的すぎる。つまり、「金がどこにあるか探って、取り上げておく」ようなことに感じる。
母親はまだ死ぬとは思えなかったし、姉の家に行ってて亡くなったので、急いで葬式に行っただけだった。
 オヤジについては、もう寝たきり状態になっていたので、おんぶして風呂場に連れて行き、ゆっくり入れてやった。なんか、裸でだいてもらっているということが、えらくうれしいようだった。もう一つ、「葬式用の写真を撮っておくよ」といって、頭を少しといて、真上から一眼レフで撮った。本人も喜んでいたし、葬式の時も「いい写真があったなあ」と多くの人に言われた。
 親父の亡くなったのは88才だった。