私の生まれた家 昭和10年頃


 この写真は「神鍋観光60年史」の扉ページの写真の一つです。馬の右側の雪の小山は、積もった雪と屋根から落ちた雪が山になったもの。私の生まれた(写真の1年後)家は小山の右側なので写っていない。母屋の鍵の手に2階建ての離れがあったので、この写真の目線は、2回からのものと判断できます。写真の手前の黒いモノは、庭にあったツバキの葉っぱだと思います。
 雪が降るとバスが来なくなります。スキーに来る人は、標高差200メートルぐらい下までのバスで来れるところまで来て、そこからは自分で担いだり、迎えに出た人が担ぐとかソリで運ぶとか、馬車で運ぶなどをしていた。
 ついでに書くと、この本の編集委員長は私の長兄です。62才でなくなりましたが、大正10年3月生まれなので、生きていたら89才です。彼はラバウルで、砲弾の破片が鼻の下の辺りから喉に、斜めに貫通し手口の中が具じゃ具JAになる負傷をしました。
 私が水木しげる池部良の本に関心を持つのもその所為もあります。
 もう一つ兄のことを書くと、地域集落が生き残るために「神鍋観光開発株式会社」を作ったのが昭和25年頃で、「地域が自主的に作った、全員株主の会社」という意味では、全国一だと思います。