戦争

名護屋城

7月の16日に、人を案内して名護屋城に行ってきた。30年前九州に来たころ、すぐに行って見て、秀吉の仕事の仕方に驚いた。豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地である。 今回も改めて感動した。朝鮮に出兵するための準備が半端ではない…

8月15日は、平和主義大安売り記念日

毎年、8月15日頃になると、日本中が“平和主義”一辺倒になる。きわめて不気味な世の中だ。平和さえ唱えれば、みんなが幸せになれるという世の中だ。確かに戦後はそうしてきたし、一見平和だったように見える。 その間に、外国の政府による侵入者が、日本に不…

女子中学(?)サッカー部の監督さんの言葉 140816 朝のテレビで

「全国優勝できなくてもいいんです。負けてもいいんです。監督の言うことを聞いているだけでは勝てないと分かってくれれば。」 この言葉は極めて常識的だが、今の日本では素直に受け取ってくれるかどうかわからない。監督は、「全員が自主的に努力し、主体的…

ウクライナのマレーシア航空機墜落

ウクライナで起こっている内戦には違和感がある。日本の新聞やテレビのニュースは、画一的にNATO寄りだが、セバストーポリなどと云う要塞の名前は、ロシアの小説の出てきたように思う。こんなバランスの取れたニュースは、2か月遅れの月刊誌(締め切りの関係…

日常、いかなる出来事に出会いても、めっけものと思え

この頃池部良の本を読んでいる。そうしていると、池部のことがよく目に入る。この見出し語は、父親の鈞氏が送ってきた手紙の中の文句であり、産経新聞のコラムに載っている(3月19日)。 「めっけもの」というあたり、いかにも江戸っ子風だ。同じコラムの中…

池部良、水木しげる論 私の兄への鎮魂歌

私は長兄と15才離れている。1983年になくなっている。池辺や水木と同じ方面の、ラバウルで大砲の破片が、上顎左から入って口中を通り、下顎の右へ抜けている。アゴが壊れ、シタが切れているので何も食べることは出来ず、砂糖のかたまりをもらって嘗めながら…

[孫]戦争体験の一番厳しいのは戦後にやってきた

ある日の午後、「先生が全部抜け出して映画を見に行ったぞ」という声が流れてきた。戦争後の11月頃だったような記憶がある。ヒョッとすると、翌年だったかもしてない。どこのクラスにも情報通の生徒がいると思うが、彼が「今日は午後自習だぞ。先生はみん…

池部良と牛肉の大和煮缶詰--戦争に対する私の気持1

池部良のことを書こうと思ったので、「牛大和煮」という缶詰を買ってきた。10月7日である。それをブログに入れるために、写真に撮ったのが9日である。ちゃんとトリミングして載せるつもりだったが、それがうまくできない。やっと、解像度補正だけ出来た。 …