名護屋城

7月の16日に、人を案内して名護屋城に行ってきた。30年前九州に来たころ、すぐに行って見て、秀吉の仕事の仕方に驚いた。豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地である。
今回も改めて感動した。朝鮮に出兵するための準備が半端ではない。全国から200大名を集めたといわれているが、その陣屋は数キロ四方に及んでいる。港も、遣唐使の頃からの良港を抑え、巨大な都市建設をして、物流から、娯楽施設まで準備していた。
戦争とかケンカと云うものは、とことんリアリズムの世界で、「ハラが減ってはイクサはできん」ということだ。毎年この頃は、小学校3年生の時に終わった戦争を思いだす。
私の村に来ていた松根油つくりの兵隊もひどかったが、学校の先生のビンタはもっとひどかった。自分に気に入った子供と、気に入らない子供とのエコヒイキはひどいものだった。今でも、イジメの原点は「価値観の画一化」に対応する、異端排除だったと思う。
あの松根油などは資源の無駄遣いを助長しただけで、何の役のもたっていない。これも、現在の太陽電池と同じで、多くの一般消費者の値上げで、一部の企業が儲けるのと同じだ。