オチコボレ

阿部首相のメール オチコボレ?

小泉首相の時から、総理官邸のメールを読んでいる。が、小泉以降のメールは、阿部総理までは読むに堪えなかった。 阿部メールに代わってから、「この人はずいぶん肩の力が抜けているな」と思った。特に今日届いたメールはすごい。 安倍総理のメッセージ6月24…

カメは山頂だけ見ていた→ゆとりもなかった 090625

ずっと以前にきいたはなし。ウサギはカメを見たり昼寝をしたりしていた。能力のないヤツは、隣や世間を気にせずに、自分だけ仕事を楽しめばいいのさ。もとは、イソップ寓話?・三遊亭歌の介 18人が真打ち昇進試験を受けた。柳家小さんが「今回の合格者はこぶ…

久しぶりに、若い人たちと話し合った②

対話の後、メールで礼状を送ってくれたので、それに返事を出した。以下がそれだ。私と対話をしてくれた、大阪アルパックの皆様へ 130620 久しぶりに若い人たちと議論ができて、少しばかり開放感を感じました。議論をすると気分がよくなるということは、自分…

久しぶりに、若い人たちと話し合った①

10日ほど前に、私の前にいた事務所の若い人たちと話し合って、なかなかいい気分になった。と云うのは、大阪と云う風土のせいなのか、私のようなオイボレに、よく反応してくれたことだ。話したのは、次のような、私のおちこぼれ体験だ。 ・会社ごとオチコボレ…

文部省から自立した娘たちのこと

前回、体罰と云う強制は、教育と無関係であるということを書くために、自立した娘たちのことを書いた。ところがその二人は母親になっているが「コメント」を書き込んでくれていた。結構うれしいものだが、どう返事ができるのか、パソコンと云う仕組みが分か…

体罰③この時、彼女は文部省から飛び出したのだ

彼女が「よかネット」に就職したのは1996年のことだ。この年は熊本の方から二人の美女がやってきた。二人ともよく仕事ができる方で、有望だと思っていた。だから、この話は97年頃のことだろう。朝出勤して机に座った途端、「イトノリサン!」と部屋中に聞こ…

(続)体罰<戦時中の思い出>

戦争が終わったのは、小学3年の時だった。戦争中の、小学生をいじめる先生のことは思い出したくない。しかし、戦後、体罰などと云うことはなくなったはずなのに、なぜ今こんな事件が起こるのか。 一つのシステムに国民を動員し、戦争を強制していった当時と…

体罰<桜ノ宮高校バスケ、女子オリンピック柔道>

私は76歳だが、もともと体罰と云う言葉を聞いたことがなかった。念のために、手元の昭和55年(1980)の広辞苑第二版補訂版第五刷(第一刷は1969年)を開いてみると「身体に直接に苦痛を与える懲罰」と書かれている。これは一般的な罰の概念で、学校などの場…

弱くても勝てます。開成高校野球部流

開成高校は、東大入学と云う行事については超ブランドらしいが、高校野球で甲子園に出るということになると、誰もがエリートとは認めてくれず、大方の感じかたではオチコボレとみなされている。 しかし、東大入試と野球とは違う。 彼らは、強いか弱いかは一…

我が家の動物たち

最近は来なくなったが、夜帰ってくるときに、たびたび手前の車路のところで、ヘッドライトの先を"野兎"が駆け上がっていくことがありました。狸のつがいが車路の上り口にいましたが、去年の秋には一匹になっていた。近所で聞くと、一匹は捕られたようです。 …

ツグミの災難?2

昨日の夕方、ツグミが一羽、庭の土のところを歩いていました。家には小鳥がたくさん来ますが、庭を歩くことはなく、枝から枝へ飛び回っています。土庭を歩くのはカササギ(佐賀ではカチガラスと云っている、加藤清正が朝鮮から連れて帰ったとか)です。ほかに…

弱くても勝てます、開成高校野球部

本が出ているそうだが、まだ見ていないが、弱い者が勝つという方法らしい。 彼らは東大に入るのは得意かもしれんが、野球は週3時間だけの練習らしい。つまり野球ではオチコボレなのだ。 このオチコボレたちの練習法が面白いようだ。

遍路とオチコボレ

遍路の写真を、ホームページ(otikoboreryu.com)に載せるために整理していて、いろいろ思い出した。ついでに一人歩きについて、ネット検索してみた。大体一人歩きという人たちは、オチコボレが多かったと思う。そんな気分だメモをした。 ・歩き遍路、特に一…

この世には、二種類の人間がいる

小沢昭一と中村勘三郎が亡くなった。ニュースを見たり読んだりしていて、その立ち位置がまさに正反対の人だったと思った。 小沢昭一は、「常々、自分の仕事を投手ではなく“打者型”と評していた。自分からやりたいってのが一つっもない。全部、向こうから来た…

ホームページがスタートできます

<otikoboreryu.jpオチコボレ流/オチコボレでも人もうけすればメシは食える> と云うテーマのホームページがスタートとしました。 現在オープンできているのは、「四国遍路」PDF写真版の第①巻のみですが、結構見やすい……自画自賛。以下に内容の仕分けを書く…

上目づかいで見るな

親というものは、子供の私にとって最もイヤな存在だった。説教されて、こちらの言い分を云うと「口答えするな」と怒る。何も言われないので、もういいのかなと、上目遣いで様子を見ようとすると「上目遣いで見るな」といわれる。ついでに「顔を正面から見ず…

創造力・想像力とリスク

むかし、極めて情報意識の高い人と机を並べていて、議論や相談などが減っていった記憶がある。考えていることを、つい口に出したりすると、別の場所ですぐのしゃべってしまうので面食らったのである。私にとってはまだ確信が持てないので、暖めているつもり…

決断力と“死んだ労働”

「死んだ労働」というと表現としては良くないが、若い頃、マルクスの言葉として日本語で記憶しているので仕方がない。彼の書いたドイツ語が、どんな言葉かは知らない。 「機長、究極の決断−ハドソン川の奇跡」という本に、次のような文章がある。 「私の師匠…

孫3人と私の“オチコボレ伝承の旅”

ひと月前、3月26〜8日の3日間、高一、中一,小二の三人の孫と一緒に、私のふる里へ行ってきた。ねらいは一つ「うまく行かないときがあっても、落ち込むな」ということを、私の経験を話ながら伝えることである。 具体的には、一人前の大人の体験をさせる…

”メッケモノ”論と東日本大地震

池部良の父は、洋画家の鈞(ひとし)氏である。池辺が昭和17年2月に軍隊に招集された後、毎日のように息子に手紙を出した。その中で『前略。なにより身体大事と心得ること』『怪我をしたら、よくぞ死ななかったと喜べ』と書き送った。 池辺は甲種合格、現役…

東北関東大震災の客観報道

今日の昼前、津波警報で大騒ぎをしていた。誰が言ったという客観主義の引用ばかりで、訳の分からん話だった。 先ず、自衛隊のヒコウキか、ヘリか知らんが、津波という現象は上から見ても分からんほどの長い波であるはずだ。上からでは、広い海の上では2〜3…

客観主義社会の到来

人類どもは、自由主義だとか、共産主義だとか、民主主義だとか、社会主義だとかいろいろ議論をしてきたが、本当の桃源郷はマルクスなどが言ったようなことではなく、「客観主義社会」だったのだ。現在の日本は、誰も心を込めて働くような、ダサイ生き方をせ…

超特級のオチコボレ万歳

東京マラソンで、オチコボレが日本人一位。 川内さんがゴールの走り込む所を、テレビで見て一人で手を叩き、興奮した。産経新聞によると、彼は自らを「落ちこぼれ」と称し、「実業団には負けたくない。お金をもらわず払って陸上をしている」といっているそう…