この世には、二種類の人間がいる

小沢昭一中村勘三郎が亡くなった。ニュースを見たり読んだりしていて、その立ち位置がまさに正反対の人だったと思った。
小沢昭一は、「常々、自分の仕事を投手ではなく“打者型”と評していた。自分からやりたいってのが一つっもない。全部、向こうから来たのを打つだけの請負仕事」だったと云っている(産経抄12/11)。
それに引き換え、勘三郎はシステムの中に位置づけられていて、常に役割を果たし続けることが求められていた。
システムの中で位置を求めようとすると、現在の社会システムが求めている価値観、知識、技能を身につけねばならない。おそらく小沢昭一は、会社の庶務課長とか総務部長などはできなかったに違いない。つまりオチコボレ派のスターなのだ。
ここまで書いてきて、彼は昭和初年の生まれだろうと思った。つまり昭の字が昭和を表している。ネットで調べてみると、昭和4年だ。この世代は戦争を経験している。その頃は、国民全部が戦争システムに拘束されていた。オチコボレになることが許されていなかったはずだ、と思って調べると、やっぱり海軍兵学校に行っている。私の上の兄が4年生まれで、予科練だった。
小沢がいっているように、システムのお世話になれない人間は、「いただける仕事を、全力でやり遂げて、システム側の役に立たねばならない。その中で、自我の主張もする」のでなければ食うことはできない。
この間に、山中伸弥教授がノーベル賞を得た。この人もスタートは研究者ではなく外科医に進んでつまずいた、ということだった。
彼らを、オチコボレの星として尊敬する。