(続)体罰<戦時中の思い出>

戦争が終わったのは、小学3年の時だった。戦争中の、小学生をいじめる先生のことは思い出したくない。しかし、戦後、体罰などと云うことはなくなったはずなのに、なぜ今こんな事件が起こるのか。
一つのシステムに国民を動員し、戦争を強制していった当時と似た状況に、今またおかれているからに違いない。
だから、いやいやながら記録することにしたい。
体罰を定義すると「ワクにはまった生き方を強制するイジメ」のことである。戦時には、あらゆる組織(学校、市町村、隣組など)を活用して、締め付けた。
小学3年になると、一応子ども扱いから外れて、日常の義務が発生した。例えば学校のトイレからくみ取って、数百メートル離れた畑へコエタンゴで運びサツマイモを作っていた。と云っても子供なので、肥桶は一つで、天秤棒の前後について二人で担いだ。このことは、一度も苦しいとかいやだとか思ったことはない。
イヤだったのは先生によるイジメだ。教師といっても、現在の高校2年卒の年令で赴任して来る元気のいい女教師だった。先生は運動神経のいい子どもと、教科のできる子が好きだ。お気に入りの子に、出来の悪い子のビンタを張らせていた。最も気分の悪かったのは、並んだ机の間を走ってこさせて、急に足を出して倒れさせるようなこともやった。自分がやられなくても、この時間ほどいやな時はなかった。
これなどは、当時の軍隊内の虐めと、優劣はつけられえないだろう。
体罰と云うのは、組織的・権力的に優位に立った側の、弱者への一方的なイジメなのだ。こんなことしかできない奴は、人間性が最低だ。