体罰<桜ノ宮高校バスケ、女子オリンピック柔道>

私は76歳だが、もともと体罰と云う言葉を聞いたことがなかった。念のために、手元の昭和55年(1980)の広辞苑第二版補訂版第五刷(第一刷は1969年)を開いてみると「身体に直接に苦痛を与える懲罰」と書かれている。これは一般的な罰の概念で、学校などの場を予測していない。
念のため、新明解第四版1989年刷を見ると、「言うことをきかなかったり、悪いことをした子供に対して、教育的見地から……」と書かれている。これでみると、20年の間に社会が変わったように見える。
私自身が、体罰の場にかかわったかもしれないシチュエーションがあったとすれば、おそらく高校時代だ(小学3年までの戦時中を除けば)。しかし、山岳部と云うスポーツは、“罰”と呼ぶような概念が現れようがなかったと思う。山で縦走をするときなどは、先輩がトップとシンガリを務めることが常識だ。練習にも命の危険が伴っているから。
関西で働いていたときは、山に行くようなゆとりがなかったが、九州に来て少しゆとりができたころ、還暦を過ぎてから、山歩きに参加させていただくようになったが、少し気になることがあった。シンガリのサポートシステムが不十分なのだ。九州は気候がいいので、みんな暢気な人たちだとおもったが、日本全体のシステムが緩んでいたのかもしれない。
体罰をやった柔道女子日本代表監督は、「自分の思う型にはめてやれば勝てる」とでも思っていたのではないか。人間性のレベルが低すぎる。どんな仕事でも、主体性を持った本人の工夫と努力なしに、かなりの成果を上げることはできない。
たまたま、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と云う物騒な名前の本を読んでいる。もちろん柔道家の話だ。この中に書かれている木村の工夫・練習は恐ろしいばかりだ。こんな練習は、体罰で押し付けられたぐらいで、モチベーションのない人間では到底できない。著者の取材力も、熱意の塊のような気がする。まさに、「みんなのやる通りではない自分の工夫で努力する」と云うオチコボレ型だ。
今の日本にはオチコボレが足りない。