”メッケモノ”論と東日本大地震

 池部良の父は、洋画家の鈞(ひとし)氏である。池辺が昭和17年2月に軍隊に招集された後、毎日のように息子に手紙を出した。その中で『前略。なにより身体大事と心得ること』『怪我をしたら、よくぞ死ななかったと喜べ』と書き送った。
 池辺は甲種合格、現役入営で、大学卒なので、幹部候補生試験を受けねばならない。内地を出るとき、「兵隊だったら2年だが、幹部候補生になったら4年だぜ」と聞かされていたので、試験用紙にはなにも書かなかったのに、及第になってしまった。幹部候補生抜擢の報に、父親の鈞氏は『こうなったからには、部下の生死にも責任を持つべし』と書いてきた。
 何となく、この歳になって、オチコボレで人生を送ってきた私として、鈞氏の手紙の雰囲気を感じる。『あきらめろ』ということか、『居直れ』ということか、『割り切って励め』という訳か、とにかく『運命にのって戦うしかない』と励ましたのだと思う。
 今東北は地震津波の天災に、原子力発電所の杜撰で無責任な管理による三重苦にある。ヒョッとすると、私の兄や池部が苦しめられた先の大戦時のように、国民全部が落ちこぼれさせられるのかも知れない。原発管理は、無責任体制下にある。
 こんなときは、『何事にあいても、メッケモンと思う』ような居直り気分で励むしかないのかもしれない。(これは産経新聞の「次代への名言」というコラムと、『ハルマヘラ・メモリー』『オレとボク』(ともに池部著)を見ながら書いた)