決断力と“死んだ労働”

 「死んだ労働」というと表現としては良くないが、若い頃、マルクスの言葉として日本語で記憶しているので仕方がない。彼の書いたドイツ語が、どんな言葉かは知らない。
 「機長、究極の決断−ハドソン川の奇跡」という本に、次のような文章がある。
 「私の師匠たち、そして愛する者たち――私を教え、励まし、そして将来性を認めてくれた人たちが、様々な形であの1549便のコックピットの中に私とともにいた。エンジンが二つとも止まった恐ろしい状況だったが、私には多くの人々が授けてくれた教訓があり、そのおかげでなんとか対処することが出来た。クック氏の教えは、あの約5分間のフライトの中でも生きていたのだ。……やっと気づいた。ハドソン川に下りた道程はラガーディア空港から始まったのではない。その何十年も前に始まっていたのだ。」
 もう気づくかも知れないが、これは2009年1月15日午後3時24分、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったエアバスが、バードストライクに遭遇して、ハドソン河に不時着水したときの記録だ。
 なるほどと思った。“死んだ労働”といわずに“世代を超えて受け継がれた知恵・労働”といえばいいと思う。私たちは、一瞬たりとも先人の知恵抜きには生きていないのだ。