子供の頃、ふるさと、思い出

映画暖簾(1958.6)と丸芯のランプ 

ビデオ屋で借りて見た。太平洋戦争と戦後のことがよく画けていた。その中に丸芯のランプが出てきて懐かしかった。小学2年から4年生の頃までだったか、燭台型の丸芯のランプの掃除(主としてガラスのホヤを磨く)は私の専属だった。 普通の芯のランプもあったが…

小2の時、右目の視力が0.1だということが発見された②

もう少し小2の頃のことを書く。 片目が見えないということが分かって大変だということになって、バスと駅を乗り継いで豊岡病院に行った。おそらくほかの病院にも行ったと思う。両親は、私が進行性の眼病で盲目になってしまうことを心配していたのだと思う。…

小2の時、右目の視力が0.1だということが発見された①

身体の欠陥は若い頃は気になるものだが、80年も生きてくると、あまり関係がなかったように思う。右目が悪いということで具体的に支障が出たのは、中学3年のことだ。親父から高校へやることは無理だということで、「養成工」という制度が出来ていて、大企業の…

バスと私のお伽噺・夜の闇が怖いという運転手さん

わがふる里は、標高350メートルの盆地(村全体で300余戸・1200〜300の人口)で、私の家は盆地の取っつきのムラ(集落)の真ん中あたりだった。そんなわけで、駅のある町から上がってくるバスの終点のバス停になっていた。 バスの最終は午後8時ごろで、運転手さん…

子供の頃の雪・紀元節

この数日、九州でも雪がちらついている。この風景を見ると子供の頃を思い出す。紀元節の朝は早くから学校へ行った。いつも大人たちに「紀元節のころが一番の大雪だ」と言われ続けていた。その頃は、昨日までに降った雪の上に新雪が積もり、30センチから50セ…

80歳の小学生の同窓会(11月3日)

一瞬にして、みんなが10歳ぐらいの子供の気分になっていた。我々の同窓会は、国民学校から小学校、新制中学校、もう一つ以前の幼稚園まであって、10年間一緒に過ごしていた。70年たった今でも、瞬間的に“チャン”仲間になる。この頃の10年間の仲間というもの…

子供の頃の論争②

チョット付け加えたくなった。論争というよりは「言い合い」だったが、田舎の子供はテレビもラジオもなかったし、新聞は大人のものだった。そうなると長い間いいつずけてょうが勝ちと言うことになっていた。そういう時、一発で仕留めるには、「どこそこで見…

子供の頃の論争

よく議論をしたが、「誰それが言っていた」とか「新聞に載っていた」は、評判が悪かった。田舎の子供というのは知識のもとの本などが少ない分、実証主義が強かったように思う。今の子はどうだろう。 「習ってないことは知らん」と言うことでなければいいが。

思いやり、多神教、じねん、科学的

日本人の言葉で面白い言葉がある。中学生頃から使っていたような気がする。その時のムラ(集落)中の場所や仲間の顔まで浮かんできそうだ。仲間同士で言い合いになった時、一発で仕留める気分だったような気がする。 「それは不自然だ」という言葉だ。 子供心…

小学4〜6年生の頃の遊び「機転利かせ・頭を働かせ」

子供仲間の遊びでは、機転と言うことが大切だった。別の遊びを始めるときには、「呑み込みのいい子」は評価されるが、勘の悪い子は「頭を働かせ」と言われた。 「云われただけじゃなく、ちったあ(チョットぐらいは)自分で考えろ」。「ちったあ(チョットは)機…

「はばかりながらサクラかな」小学4〜6年生の頃の大激論

そのころ仲の良かったのは、カッちゃん、ヨーちゃんとサダヨッさん(私)と呼び合っていた三人だった。三人とも頭がいいとみられていたが、私以外は運動も得意だった。 「はばかりながらサクラかな」という一茶の句を見て議論していた。確かなことは分からない…

70年前の天文少年

今朝5時前ごろ、オリオン座流星群を見ていた。30分ぐらい見ていたら、オリオンの4角形の赤い星ベデルギュースの左上あたりで、弱い流れ星を2~3見た。 そのすぐ後に、ベデルギュースやリゲルより明るいぐらいの光が、同じあたりで一瞬見えた。これは流れな…