子供の頃の論争②

チョット付け加えたくなった。論争というよりは「言い合い」だったが、田舎の子供はテレビもラジオもなかったし、新聞は大人のものだった。そうなると長い間いいつずけてょうが勝ちと言うことになっていた。そういう時、一発で仕留めるには、「どこそこで見た」が強烈だった。このガキも、30年たった頃には再開発事業にたづさわっていた。
1970年代の初めころ、2社の設計共同体で計画づくりをしていたが、何分こちらは弱小会社で、先方の1/10ぐらいしかメンバーはいない。共同体のチーフは、一応私になっていたが、出席するゆとりがないので、K君一人で行ってもらった。会議が終わった帰ってきたK君から報告を聞き、「ご苦労さん」と云って終わった。
ところが数日後、先方のチーフと会った時、いきなり「やっぱり、お宅の会社はすごいですね」と言われてびっくりした。「何の意味ですか」と尋ねたら、先日の会議の様子を話してくれた。
打ち合わせの会議は、10時ころからやって、いろいろ意見を言い合うが結論が出ないので、昼食後継続することになったようだ。つまり「あそこにこんな例がある」「ほかにも甲所と乙所も参考になる」など云って議論したが、正確な説明ができなかったらしい。それを午後の会議で詰めることにして、午後には決着をつけることにしたのだ。
午後1時になって先方のメンバーが数人席に着いたが、K君が帰ってこない。共同設計体の会議なので、当方は一人しか出ていないが、1人が50%になるので会議を進められない。K君は30分以上遅れて会議の場に戻ってきた。先方のチーフが「どこへ行ってたんですか」と聞くと「午前中に話に出ていた所を見てきました」と云った。実証を踏まえて結論の提案をした。
先方のチーフは、唖然とした。「確かめて結論出せばいい」というアクションをとる態度が;ウチ”にはないのです、と云って実証主義をほめてくれた。わがK君は、2,3流大学出身なので、分からん時は知っている人に聞こう、確かめたい時は見に行こうという程度の能力なのだ。ところが有名大学出身の受験秀才は、議論で決着をつけようとする。かくして仕事とは全く意味のない時間の空費が出来る。