東京・築地市場問題

パイプが錯綜している地下空間の写真を見たとき「これはアカンな」と思った。
この状況には、誰一人として「このようにしたい」という主観をもって関与している(自我関与)人がいないということを示している。平面部分に捨コンがあるということは、何らかの設計要件を「墨だし(設計図のポイントを平面に書き写すこと)」することがある、と云うことだ。
これだけパイプがむき出しになっているならば、将来のメンテナンスを考えて、用途ごとのまとめ方とか、修繕時などの段取りを意識することは当然だ。当然ながら高さで整理したり、平面的に見た並べ方が整理されたりしていそうなものだ。この建物が活用される時のことが考えられていない。
この設計図を作った人や工事をした人たちには「俺はこの現場でどんな仕事をすればよいか」と云う自我関与がない。「いわれた通りにして金をもらえばいい」と云う他人事になっている。おそらく東京都庁の中では、そのような空気が充満しているのだろう。
朝のテレビ朝日だかの様子を見ていると、「誰が言った彼が言っていた」とか、「責任は……」などと「正しいこと、正しいとされるべきこと」にこだわってうるさい人がいるが、どんな問題でも、常に現時点から考えて、最良の(費用も内容も含めて)将来(決着)を目指し続けねばならない。平凡な常識こそが最良の結論だ。
マネジメントを日本語で云うと、中学生用の英語辞書では「どうにかする、うまく何とかする」と云うことらしい。築地の仕事の中に、その役割のマネージャーがいなかったのだ。この頃、コーディネーターと云う商売がある。この私は都市再開発事業のコーディネーターをやって来た。実際がどうあるかは別にして、この役割の人は一切弁解する権利がない。形が悪い、雨が漏る、導線が悪い、コストが高すぎる、営業成績が悪い、色彩が良くない、メンテナンスがうまくいかないなどなど、あらゆることに気を配らねばならない。
私は大学を出て最初は小さい編集屋の会社に入った。次いで小さい工務店に入って営業や建築工事の現場監督もした。そしてまちづくりのコンサルタント事務所に移った。これらは不思議なことに、どれもコーディネーターだった。もちろんすべてにコスト管理が入っているので、マネージャーでもあった。と云うわけで、築地問題の混乱が気になる。