“急性胆管炎”って大病なんだな。カネヤンがそれで死んだって聞いたが

 去年の暮れの20日、伊さんにクルマで山王病院に連れてもらって、診察してもらった時の主治医の顔に一寸びっくりした。糸島の家をクルマで出る時までは、一応家では階段の上り下りも出来ていたし、それほどの病気だとは思っていなかった。確かに、 山王病院で車椅子に乗せられて病室(と云っても寒いICUとかいうところ)で、マカロニを幾つかつけられて、何度も何度も看護師さんが様子見に来た。主治医も来た。

 全く重病人扱いで、医師は「家族はどこだ、電話番号は、すぐ電話してもいいか」など聞かれて、面食らってしまった。なんか重病人扱いなのだ。確かに夕方以降は膝が弱くなっている感じで、かなり歩きにくくなっていた。と云っても、12月16日の深夜に、何度も嘔吐を繰り返し、その後ほとんど食べていないのだから、別に大変だとも思わなかった。翌日は、一晩中薄暗いICUに留め置かれたのと、何も食べられないために体を動かすことがしんどかった。

 翌日の午後に、妹夫婦が奈良からやってきてビックリした。周囲が、いかにも大げさに動き始めていて、変な気分になった。これは主治医が妻へ電話をかけたことの反応だった。京都の方も手が離せない病人がいて、私への見舞いを妹に頼んだのだったが、私は事情が分からなくて変な気分だった。後で聞くと主治医の見解は、即手術ということもあると考えていたようだ。

 私は、元々体が丈夫だという過信があるので、そして、男の兄弟は全部60才頃に亡くなったので、もう寿命期限に来ていると思っているので、先のことを気にしない癖がついている。

 ところがこの時は、大勢見舞いに来てくれて、東京からも来てくれてビックリした。結局正月7日に退院した。日常的には問題ないようになっていたが、体重は63.4キロにまで痩せていた。

 結局手術をすることになって、3月5日に胆嚢除去手術を受けた。その時の痩せ加減を見た腕の写真がある。

この時は65キロぐらいに戻っている。体調も戻って、今年の夏は去年以前の夏より楽だった。現在は、来年の春の熊野古道小辺路歩きを目指したいという気分が出てきている。