忖度論の地域性はあるか

  忖度;他人の気持ちを推し量ること。気配り、思いやり。
  推察、推し量る、汲み取る,おもんばかる。
  他人の心中を推しはかること、推察(広辞苑S51年,第二版)
テレビのニュースを見ていたら、野党の幹事長(名古屋地方出身)という人が「忖度するという態度がおかしい」と大阪府知事にかみつき、それに知事が「エ、忖度は誰でも普通にするんじゃないか」と返していた。やっぱりそうかと思ったのでそれを書く。
忖度という言葉について、日本の地域によって相当大幅な“見立て”の違いがあるようだ。気になって、辞書を引いてみたがそれほどの違いはない。しかし、日常の仕事の中でかなりの違いを感じていた。
私が関西から九州へ仕事をしに行った時、最初の違和感は事務のMさん(大卒)という女性との会話であった。私が何かを頼んだ時「はっきりいってください」と言われた。私はお互いの知能というか能力を認めたいし、お互いが工夫し合った方がよりよくなるという感覚を持っている。大阪では出来るだけ目的・目標ははっきり言うが、方法は出来るだけ相手の任せていた。高卒の女性でもみんなが相談したり考えたりして、上手くやってくれていた。九州でも高卒の子はうまくやっていた。
というわけで、目的を言って手段を細かく指示したりはしない。細かく言うことは、相手を見下げていることになり、お互いが協力して仕事をする職場では、仕事の質や能率をも下げることになると思っているからだ。理解しにくい時は、目的や目標を少し確かめてくれたり、隣の人などに聞いたりすれば相手(この場合は私)の癖も分かってくる。そのことが職場の環境をよくすると考えている。
その後、九州の子会社が、不渡り手形(期日寸前で見つけた)を出していることが分かり、その再建をするために九州へ来た。その時事務をやってくれることになったTさんという女性からも「きっちり言ってください、その通りにしますから」と、前回以上にきつく言われた。この時の雰囲気は、「言われたことをやるだけだぞ。あなたのために私の頭を使うなんて……」といった感じだった。この二人は大学卒で優秀な成績の人だった。しかし、それ以前にその仕事をやってくれていた高卒の女の子より、融通が利かなかった。
こういう経験は、大阪、京都ではなかった。東京、名古屋、九州などと違うのかもしれん。
子供のころ、仲間で遊んでいるとき、遊びの決まりを間違えたりすると「ちったあ考えろ、機転を利かせたら分かるだろう」というようなことを、仲間内で云い合った。もちろん、自分で判断がでず、呑み込みが悪いと遊びがスムーズに続かないから、みんなが面白くないので当然ではある。
以上の話は、まさに忖度のことで、言い替えても「推察、見立て、汲み取る、察する、悟る」などで、人間関係をつづけ、仕事などを一緒にやる限り常識的なことで、避けて通りことは出来ない。
宮崎県の幸島というところに住み着いているサルを見に行った。京大の駐在の人が毎日二回麦をもって渡り、ふすまのついたままの麦を撒いている。その砂浜の中央辺りが少し低くなっており、水深1〜2センチぐらい、幅10〜20センチぐらいの水路になっていた。30匹ぐらいの群れの中の、子ザルたちが砂の上の麦をかき集めて水面の上に薪、浮いた麦を手早くつまんで食べた。親ザルタイは砂の上の麦を食べていた。子ザルたちは「忖度」ではないが類推ぐらいはしていた。