新型コロナ大変「全国の小・中・高校の臨時休校」“津波てんでんこ”の心掛けを

「子供の面倒を見ることができない」

「コロナのせいで会社休め」というなら賃金払え

「急に学校を休むこと決めるなんてひどい」 

「学校へ行けない時の、子供の面倒が見られないではないか」

「困る人もいるのでバランスのとれた方針が必要」

「超寧な説明がないのは問題」

「突然感がありすぎる」混乱するようなやり方はダメだ。 

 朝のテレビを見ていると、皆ご無理ごもっともな意見を出している。それを聞きながら“津波てんでんこ”の話を思い出した。なかでも、眼が見えなくなっているお爺さんが「わしのことは心配するな。裏山のウロ(洞)までの道なら目が見えんでも行ける。先に行っているから皆テンデンコにウロ(洞)まで来い」といった話だ。小学生の子供も、遠い街に働きに行っていた両親も、それぞれの洞に来た、という話だ。

 もちろん、“大川小学校を襲った津波の悲劇”も思い出した。この方は細かく憶えていないが、おそらく近くにとりあえず避難できる場所があっても、「正しい避難先はどこか」というようなことを、正しい態度で、十分心遣いをして議論していたのだろう。確か全員が津波に飲まれてしまったのだったと思う。

 もしこの時、山岳部で訓練を受けた先生がいたら「すぐそこの小山に逃げろ」と、校長や先輩をさしのけて、行動に移して、子供たちを追いやったかもしれない。とっさの判断には胆力がいる。

 今回の新型コロナについても、1月末から国の態度の“オモイキリノワルサ“についてブログに記録していた。

 総理の決断というものは大変かもしれんが、それをするのが役割なんだ。安倍さんは、これで辞職しなければならなくなるかもしれないが、やっと、後世末代までの非難から逃れるかもしれない。

 インパール作戦で大勢の日本兵を餓死に追いやった司令官の汚名から逃れる。いや、その司令官はさっさと逃げ帰って、恩給をたくさんもらって、ノウノウと長生きしていてのかもしれない。