“すけー”という言葉が怖かった。子供の頃の仲間内で

「すけー」というのは私が育った村の方言で、だからもちろん、昭和55年刊の広辞苑を見ても出てこない。中学になったころ兄に、本当は「こすい」なんだと言われたが、地元のみんなは「すけー(音引き)」と言い続けていた。今はどうなっているのかな。

ついでに広辞苑を見ると「こすい【狡い】⇒こすし」と出ている。そして「こすし」の意味は「わるがしこい。ずるい。ケチである」などと書かれている。

70年以上前の我が子供世界では、「すけー」というこの言葉の威力はすごかった。そして、誰が誰に対していっても、その威力には変わりがなかった。子供世界では、学校の成績が良い、体育・運動が出来るなどによってヒエラルキーが出来ていた。しかしちょっとでも「すけー」と最下位のヒエラルキーの子に言われても、それは効果的だった。もちろん、ウソを言うことは出来ないが、上位の子に少しでもずるいところがあると、一番下位の子供の言葉に叩きのめされた。

これは日本が昔から健全な民意を育ててきている証かもしれない。

宮本常一の『忘れられた日本人』の中の「対馬にて・寄りあい」のなかに、延々と村中で協議をする話が出てくるが、その中で宮本が「この古文書を一晩貸してほしい」といったことに対する協議が二日ぐらい続いた後で、「――といっても、三日で大抵のむずかしい話も片が付いた」と言われたそうだ。

許せるかぎり十分協議して合意形成をするということが、日本古来の伝統になっているということであり、全員が納得できる合意を図るというシキタリだと思う。我が子供時代はそのシキタリを受けて、どんな下位の人間でも主張の平等が行われていたのだろう。