“スカーレット”というドラマの神山さんのところへ、貞典兄が弟子入り

 1980年秋、公団住宅が当たって、居住用としての税の優遇を受けるため、そこへ一人で引っ越した。丁度その頃、兄からモンテアレグレで世話になっている岸さんが家族で日本へ行くので、関西の宿の面倒を見てくれという連絡が来た。丁度公団住宅に泊まってもらうことが出来て好都合だった。

 岸さんが京都の我が家で泊ったのが何時だったかはっきり覚えていない。しかしブラジル人の奥さんが、「畳の匂いがいい」と喜んでいたのを覚えている。

 82年頃だったか、仕事から帰ると「ブラジルのオジチャンから電話があったけど、すぐ切れた。コレクトとか言ってた」という。再度、夜遅く電話がかかってきて「結核なんだよ」という。ベレンで診てもらって、レントゲンを撮り、薬もくれたが「こちらの見立てでは不安だから、レントゲンフィルムを送るから、日本で診てもらってくれないか」という。

 しばらくすると、フィルムと薬のことが書かれて手紙が届いた。妹の紹介で診てもらって「診断は間違いないし、薬も合っている」と返事を出した。そして一年ぐらいたった頃、またコレクトコールが来た。「どうしたの」と聞くと「ガンなんだよ」という。私は丸山ワクチンのことを聞いていたので「結核の人は、ガンにはなりにくいんじゃないの」というと「治りかけの時にガンになりやすいらしいんだ」という。そしてまた「レントゲン写真を送るから見てもらってくれ」と依頼してきた。

 私は「それは頼んでみるが、とにかく一度日本に帰ってきた方がいいと思う」といって電話を切った。

 もう昔のことになるので、よく覚えていないが、とりあえず京都のマンションに、一緒に住んでもらったが、私は会社全体の経営、大阪事務所関係(全社の2/3以上の仕事)の責任、九州事務所がおかしくなっている、などのことが重なって、身動きが取れなかった。

貞典兄はその上の兄(次兄)の世話で入院し、その後は次兄や妹夫婦の世話で療養・手術を受けた。三兄は頑張り屋なので、ブラジルの日系入植者たちが、つまらない器を高い価格で買っていたのを気にして、モンテアレグレの土で陶器が出来ないかを探りだした。そのために中島(妹夫婦)の世話で、信楽の神山さんとところに弟子入りすることになった。

面倒見の悪い弟だったので、暇になった今、兄が土をひねっていた神山さんのところへ伺ってみる気になった。