働き方改革ってなんだ。農村では大転換している
私の近所に一人で働いている83歳の老農夫がいる。同い年なので、焼酎を一本持って、昔と今の、単位面積当たりの労働量を聞いてみた。
上手くいけば、計量労働生産学をまとめるつもりだったが、何分説明が分かりにくい。分かったことは昔は家族4人ぐらいでやっていたことを一人でやっているということだ。
働き方は大変化している。昔主力器具であった鍬などというものはほとんど使っていない。彼は、あらゆる農機具の運転技師だ。これは筋肉労働なのか、脳細胞労働なのか。
昔から労働生産性は、労働の質の変化とともに変わってきた。
いま新聞やテレビで、「働き方改革」について、労働時間のことを言っている人がいるが、全く狂っていると思う。
昔、27~8才の頃、就職して一年余りの会社が倒産した。潰れそうだと分かってくると気の利いたネズミは逃げ出す。半分以下になったメンバーが、工夫と支え合いをモットーに仕事をしたら、売り上げは少しアップ、メンバーは半分以下だから、生産性は4~5倍になったことになる。野球型のように監督に言われた通り型ではダメだ。サッカー型の「全員が段取りを考え、他の全メンバーのことを考えながら働く」ようにしないと、前に進まない。
今は知的労働社会なんだから。
念のため、昔にブログを引用する。
農作業の“死んだ労働”活用比率
朝早く近所を歩くことにしているが、農村集落に住んでいるので、朝早くから農作業をする人がいる。それを見ながら、昔と風景が全く変わってしまったことを感じている。
ほとんどの仕事が「ひとり作業」になっていることだ。昔の田植え歌などは、今の子供には想像できないだろう。たまに、小学生などの「田植え体験」の写真がテレビに出たりするが、これはレクリエーションだ。
近所の農家に聞くと、乗用トラクター、乗用田植え機、管理機2台(畝づくりなど)、動力噴霧器(除草・防虫など)、小型ユンボ(油圧ショベル)を使っているという。耕作面積は1〜2haだ。この農家の労働を、現代の社会的分業に配分しなおしてみると、この人の農作業に、過去の労働(死んだ労働)として、これらの機械を作った鉄工所の人、エンジンを作った工場、農機具の開発研究者、農薬会社などの膨大な数の労働が随伴している。昔の田植え唄の風景より、はるかに多い数となる。
割り切って言うと、農業労働とされているものには、農村以外の工場や研究所での労働比率のほうが、多くなっていると考えられる。付加価値の内の何割が、農家のものになるのだろう。