農作業の“死んだ労働”活用比率

 朝早く近所を歩くことにしているが、農村集落に住んでいるので、朝早くから農作業をする人がいる。それを見ながら、昔と風景が全く変わってしまったことを感じている。
 ほとんどの仕事が「ひとり作業」になっていることだ。昔の田植え歌などは、今の子供には想像できないだろう。たまに、小学生などの「田植え体験」の写真がテレビに出たりするが、これはレクリエーションだ。
近所の農家に聞くと、乗用トラクター、乗用田植え機、管理機2台(畝づくりなど)、動力噴霧器(除草・防虫など)、小型ユンボ(油圧ショベル)を使っているという。耕作面積は1〜2haだ。この農家の労働を、現代の社会的分業に配分しなおしてみると、この人の農作業に、過去の労働(死んだ労働)として、これらの機械を作った鉄工所の人、エンジンを作った工場、農機具の開発研究者、農薬会社などの膨大な数の労働が随伴している。昔の田植え唄の風景より、はるかに多い数となる。
割り切って言うと、農業労働とされているものには、農村以外の工場や研究所での労働比率のほうが、多くなっていると考えられる。付加価値の内の何割が、農家のものになるのだろう。