料理番組に経済学の原点を見た

朝ぼんやりとテレビを見ていたら、“オカズの造りおき”の仕方をやっていた。そしてこれは「時間の置き換え」だと云うのだ。
そして彼女は、この作業をしておくと「過去の自分の働きへの感謝ができる」と云う。この話を聞いて、えらく感心した。彼女は野菜や肉、魚などを下処理して、密閉袋に小分けしながら入れて、冷凍保存している。半製品にしたもの、オカズとして作り置き用のものなどと、冷凍庫に蓄える。
つまり今晩の食事は、今日の労働が〇%、2日前の造りおき労働が○%、魚屋の魚をさばいて刺し身にする労働が○%、農家の野菜作り労働が○%と云う風に含まれている。
これが家庭でなく飲食店だったら、ビジネスだ。
この番組を見ながら、「これはマルクス資本論に書いていること同じだ」と思った。彼はむづかしい言葉でいう癖があるが(ドイツ人にはすぐわかるそうだが)、このオカズづくりに含まれた作業を「死んだ労働」と云う。これに対して現在進行中の仕事は「生きている労働」だ。「対象化した労働」ともいう。
労働は食材の中に移転〈対象化)する、つまり死ぬことによって、旨い食事をもたらす。この話は経済学の教科書だった。
この例を使って家事労働を説明すると、その果たす役割が鮮明になる。