堺屋太一の『三度目の日本』という本

チャネラー”という雑誌の話がこの本に出ている(29ページ)。26才の頃、副責任者として編集と取材・原稿書きをやっていた。繊維については大阪が中心だったので、大阪が編集拠点だったわけだ。

「国の官僚が東京一か所集中をねらったので」大阪の地盤が低下していった、と堺屋が書いている。

という訳ばかりではなかったと思うが、広告で苦戦して倒産した。しかしその後、繊維マーケティングセンターとして会社を再建して、chsねらーは続けた。その倒産―再建にも関わって、いい勉強をした。懐かしい。57年前の話だ。