蕎麦湯、蕎麦打ち

蕎麦湯について次のような文章が出ていた。
・「育ってきた環境の違いなのか、蕎麦の茹で汁を飲む人をはじめてみた。蕎麦湯だからと言うのだけど、茹で汁ごときを健康に良いといって平然と飲む姿を受け入れられそうにない」
・「まともな蕎麦屋行ったこと無いんじゃないのか」
・「蕎麦湯って当たり前に出てくるものだと思ってた」
・「蕎麦湯知らんとか、どんな人生歩んだらそうなるのか」
これを見て笑ってしまった。日本という国は、気候や生活習慣の多様性があっていい。実は子供の頃私も、蕎麦湯を飲む人を見てびっくりした。わがふる里は山陰の雪国なのだ。ソバは寒いところほどうまいというが、秋の終わりごろには、母親が打ってくれる蕎麦が楽しみだった。
蕎麦のゆで汁は、冷まして牛に飲ませていた。牛の大好物で、人間が飲むとは思わなかった。戦後2〜3年経った頃、スキーに来る人が増えて、わが母親のそばは大人気だったが、「蕎麦湯を飲ませてくれ」という人がいて不思議だった。なぜ牛の呑むものを呑むのか。「やっぱり都会は今でも食糧不足なのか」と思ったりした。
その頃、母親の蕎麦打ちを手伝っていた。今ではその頃を思い出して、私も蕎麦を打ち、蕎麦湯を呑んでいる。