孤独死、自然死ってどんなこと

 「お前が三才の時に、おばあさんに背負われていて、上がり框に下ろして『ああえら』と声を出して、そのまま奥に入って寝て、しばらくして亡くなったんだ」と、母親から聞かされてきた。私の祖母は、死ぬ前まで三才の孫の守りをしていたのだ。何度も聞かされていたので、その時の様子まで憶えているような気分がするが、勿論そういうことではないと思う。
 祖父は、私の父親が11才の時から19才の時まで肋膜炎を煩い、表通りを通る人まで、うめき声が聞こえたらしい。
 父は、“小言”以外何も聞いた記憶はないが、母に云わすと「オトッツアンはな、11才の時から、羽織を作ってもらって戸主として、村の寄り合いにも出て、家を守ってきたんだ」と言うことで、苦労をしたようだ。従って、父の口癖は「良いと思うことは、人に分らんようにせよ。悪いことをするなら、分かるようにせよ。人のためでも、喋りたくなるようならするな」だった。いつも、顔を会わせるのもイヤだった。
 父が亡くなったのは、数えの88才の5月だった。直接の死因といえば、3番目の兄が正月か3月頃かに帰省したとき、面倒を見てくれている長兄が「酒を余り飲ませてくれん」というような不服を云ったらしい。3兄は1升ビンを買ってきて、「飲みたいだけ飲んだらいい」と枕元においたらしい。それで一気に飲んで、といってもせいぜい2合ぐらいだったが、酔っぱらって腰を抜かしてしまった。当然寝たきりになった。
 寝たきりになったと聞いて、私も見舞いに行った。そしてオンブして風呂に入れて、頭から足先まで洗い、寝床に寝かした。大変喜んだ。
 カメラを持って行って、「今、葬式用の写真を撮っておくから、寝たままでいいからチャント上を見て」といって何回かシャッターを切った。父は非常にうれしそうな顔で、目をキッチリ開けていた。
 その後、1〜2ヶ月で葬式だった。もちろん写真は私の撮ったものだ。なかなか良い自然死だったと思っている。