韓国日常生活・社会見学、韓国大田科学万博 1993年

この年、事務所で万博見学旅行をした。泊まるところがなくて、ソウルのどこか辺鄙なところへ、旅行会社がホテルをとってくれた。ラブホテルと商人宿の中間ぐらいの宿だった。オンドル部屋も、簡単なベッドの部屋もあった。
ホテルに着いたのは8時ごろだったように思う。玄関を出ると、狭い商店街が続いていた。こんなところにはなかなか泊まれないので、みんな、結構喜んでいた。
商店のツラナリの中に、一軒(間口にしてみると8〜10m=2件間口?)の、少し様子の違った店があった。
商店街と云うものは、日常の食品・雑貨などを売っているわけだから、八百屋があり、隣がナベやカマなどを売り、お菓子を売り、魚を売るという具合に、100メートルぐらいは続いていたように思う。当然、子供が走り回ったり、品物を値切っているような感じもあり、大勢の人が行き来していた。
様子の違った店と云うのは、ちょっと明るく、きれいなシツラエの店で、店の左わきに60歳代ぐらいのオバサンが座っており、座敷には三人のチマチョゴリを着たきれいな女性が、真ん中は奥に、両脇は少し前に座っていた。オバサンは周囲に目配りをしているようだった。一軒だけではあるが、大阪の飛田新地の風景と同じだった
あまり見つめる勇気がなくて、通り過ぎながら見ただけだが、帰ってくるときには何とか写真を撮りたいと思った。その勇気もなく、ホテルに帰ったが、やっぱり写真を撮っておきたいという欲求が出て困った。ここに写真がないのは、勇気がなかったということだ。
科学万博は、つくばの縮小コピーぐらいの感じで、何も思い出に残っていないが、あの商店街にもう一度行って見たいと思い続けている。
韓国のことがテレビに出ることが多くなると、つい、思いだすので書いてみた。