“じねん”への傾斜

歎異抄を始めてみたのは20歳の時だった。北野高校の図書館に勤めていた時、生徒が我先にと歎異抄を借りに来た。自分でも少し読みかけたが、興味は沸いてこなかった。
昭和45年秋、大阪で都市再開発事業にかかわり始めて、「権利者や市民、行政、納税者を納得させうる計画とは何か」を考えざるを得なくなって、毎日悩んでいた。世間は「住民無視の再開発反対!!」と叫んでいるが、「このままほっといていい」とはとても思えなかった。
「住民の意見を聞いてやればいい」と云う人が多かったが、私はそうは思えなかった。みんなが勝手に言う意見ではまとまるはずがない。
46年からは京都駅の南側の計画もやることになり、「関係者の合意形成ができるかと云うことと、事業的に成り立つか」を悩んで京都駅周辺をさまよっていた。格好よく言えば、「まちを見て何か思うこと、感じることができないか」を考えていた。
その日は、駅南から北側まで歩いてきて、本願寺の東側の道を歩いていて、つい、法蔵館書店に入った。そこでなんとなく岩波文庫歎異抄を手に取った。この本は今でも、持ち歩いたりしている。