終活の研究③ 佐江衆一著「黄落」

この本は、発行された時すぐに読んだ。事故や骨折などいろいろなことがあったのち、母親がある時から「ごちそうさま」と云いながら、全く食事に手を付けなくなり、息子とその妻はあわてる。母親は以後食べなくなり、医者は栄養剤を打ちましょうかと云って、注射をするが、息子は母親の決意を感じて、以後その注射も断る。
最も記憶に残っていたことは、食べない母親の体が透き通るようにきれいになり、十日ぐらいで息を引き取ったという部分だ。
今回思い出すために、文庫本を古書で買った。それによると新刊本は平成7年(1995年)5月刊とある(文庫本は平成11年10月刊、1999年)。ということは、私が60才の頃に読んで、この美しい終末に感動を覚えていたということになる。
私の55才から65歳くらいまでは、体調が最も悪い時期だったように思う。1990年を過ぎたころ、全身に発疹が出て、赤くただれて猛烈にかゆかった。中洲の皮膚科の病院で、全身に軟膏を塗ってもらっていた。
また、三人の兄たちが60才前後に亡くなっており、次兄と三兄はがんで苦しみながら亡くなった。「黄落」の母親の終末は、穏やかな感じを受けた。親鸞歎異抄の言葉では『力なくして終わるとき、かの土へ参るべきなり』とある。エネルギーと煩悩が強いと、体も心も苦しむのかもしれんと思った。
今回、文庫本を買って「黄落」を読み返してみた、当時より思うことが多かったように感じた。