計画とは何か、合意形成はどうすれば進むのか、悩んだのは1972年ごろ

25歳のころに「編集屋」に就職した。雑誌やパンフレット、ポスターのようなものも、写真を撮り、コピーを書き、レイアウトもやった。
レイアウトをやるということは写真の上下の長さや左右の幅を決めて印刷屋さんに渡さねばならん。それを「天地と左右」の指定と云った。写真を縮小したり、拡大をするには天地と左右のどちらかを優先してきめねばならない。相似形なので、天地がはみ出しては困るときは、「天地○○センチ、左右ナリユキ」と書いた。
この「ナリユキ」と云う言葉が好きだった。
震災復興の道は、韓国中国との付き合いは、消費税、憲法改正は等いろいろもめているが、「結局合意形成の要は何か」、皆が「それぐらいでしゃあないな」と云ってくれる相場はどのあたりかと云うことを考えることになる。
震災の場合の責任を持つべき関係者は誰なのか、どの範囲くらいなのか、目標年次を何年後くらいに置くかなどで、どこかで割り切らねばならん。今回の震災に際しては、日本の歴史の中で画期的な「全国民で税負担を上げる」という対策が取られた。形式的には国民みんなで負担したようになっているが、国債発行で穴埋めしていることには変わりない。
韓国中国の場合は、企業の意見が前に出すぎるように思う。企業家は、何年後の日本経済を考えているのか。10年後の中国や韓国の経済はどうなっていると思うのか。
とにかく、性質の違うものを一つのモノサシで割り切ろうとするのが間違いのもとだ。都市計画事業をやっていて、大勢の人がかかわる仕事(事業)は、柔軟なモノサシ(理念)をベースに勧めねばならんと感じた。
そのモノサシが「じねん」だった。