人間の心は気候で決まる

韓国や中国へ行ったときと、タイや台湾へ行った時とでは、明らかに体の反応が違う。
私は鼻が悪い(よく詰まる)ので、国外へ行くときは、どんな準備をしておくべきか迷っていた。
ところが、初めてヨーロッパの都市づくりなどを見るというツアーに参加した時、どこに行っても鼻が詰まるということはなかった。と云うより、ドイツでもフランスでも、ましてギリシャでも鼻は快調だった。
中国へ行った時も、10〜11月頃と云う時期の所為かもしてないが、鼻詰まりは一切なかった。とはいえ、1980年代でも空気は悪かった。我々同業者仲間は、当時、世界的に高品質で欧米からも高い評価を受けていたカメラを持っている。もちろん一眼レフの高性能機で、使用フィルムに合わせて、シボリ・シャッタースピードなどを調節しながら撮るカメラだ。
上海空港で機外に出ると、すぐにカメラのシャッターを切っていた。ところが数回シャッターを切ると、皆が顔を寄せ合って会話を始めた。「シボリとシャッターはどれくらいにしてる?」「一シボリ半ほどおかしい気がするんだが」と声を掛け合った。
目で見た感じの明るさと、カメラが判断する光の量が違っていると納得せざるを得なかった。長沙、南京、武漢、蘇州などにも行ったが、カメラの調子は変わらなかった。中国は日常の熱源と暖房は石炭だったので、現在ほどではないが、すでに空気が悪かったのだ。
韓国のソウルも鼻の調子は良かった。
ところがタイや台湾は日本と同じだ。「人間の心は気候で決まる」とすれば、乾燥大陸国の人たちの割り切り方に、日本人はついていけないのではないか。