儒教と日本教の違い

1983年に揚子江(長江)流域流域都市考察団の団長は梅棹忠夫先生だった。彼の著書で、私が一番気に入っているのは『文明の生態史観』だ。「中国と日本は全然違いまっせ」と云う説だ。
儒教では、天子は易姓革命で変わるということになっているが、現実には、大陸の中原に覇を称えなければならんので、中原は大戦争の場となる。安全な場所に逃げてそこで再起するためには家族・親族が一体とならねばならん。これが「孝」のもとだ。
日本の農業生産様式ならば、戦争とかかわりなく地域の生産組織が生き延びる。この考えのもとは、今でいうところの「公」(昔の言葉では“忠”)となる。
大阪万博のころ、在日韓国人の所員が2人ぐらいいた。彼らは韓国の親戚に行く時たいそうな土産を持っていった。そのころはまだ日韓の所得格差が大きかったので、「向こうへ行くと、思ったより親族が多くなる」のだといって、土産の用意が大変だった。
そんな話の中で、「韓国では親戚間の面倒見がいいと聞いているが、仮に役所に勤めていて、おじさんが仕事を回せと言ってきたとき、それを聞くのと拒否するのでは、どちらが社会通念にあっているのか」と聞いてみた。「それはおじさん優先でしょうね」と云っていた。
気候が地域文明を決める、と云うことだろうと思う。