形容詞だけのコロナウイルスの対策は失敗する

この問題をサポートしている国の専門家や政治指導者の思考回路が、戦争に突っ込んでいった時の参謀本部の遺伝子そのままだ。ウイルスの閉じ込めに失敗した時、彼らの弁解の説明言葉が今から聞こえてくる気がする。

 彼らの言葉は説明ばかりだ。批判している人たちも全く同じ足場に乗っかっている。いづれも形容詞ばかりだ。

「大変ですが」「力を合わせて」「苦しいと思いますが」「思いやりの精神で」などなど、意志・心を表す言葉はない。もう一つは「まづ補償をせよ」「国が支援せよ」国はもっと予算をつけるべきだ」などだ。「東日本大津波対策のように、国民全部に増税したらいいから、とりあえず借金せよ」などという言葉はない。

 論理の言葉やリスクマネジメントの立場に立った言葉はない。つまり経営者不在なのだ。

 新しい法律を作れないか。国の官僚と政治家は、何か政策を云う場合には「この費用の負担は誰が受け持って、どの人たちを目当てに行なうか」ということをはっきりしなければならないという法律を。