慰安婦像問題②プサンでかかわった日韓討論会

1995年夏、14−5人のグループでプサンに行った。これは早くから企画していたもので、それぞれ一般人として、日韓文化の交流について話をしようということになっていた。ところが、夏休み頃になると「慰安婦問題」が大きくマスコミに乗ってきた。そんな空気ではあったがそれほど気にはしていなかった。
博多港から乗った高速船の中で、「政治的発言は控えよう」というメモが回ってきた。今後率直な交流が少しでも長く、深くなっていくことを願う私としても、その配慮に異存のあるはずもなかった。そんな空気の中で行われた交流会である。この交流の世話をしてくださった韓国側のKさんの「伝統文化について議論しよう」という挨拶にも、配慮が現れていた。私もあまり発言する気はなかった。
交流の議論が始まったが、韓国側の人は気になって仕方がないような雰囲気だった。 ついに一人から「あなた方は従軍慰安婦の問題をどう思っているのですか」という言葉が出たが、深刻な感じでいわれたわけではない。「やっぱり聞いてみたい」という気持ちを抑えかねて、つい出てしまったという雰囲気であった。しかし一瞬、私は息がつまった。それは日韓草の根交流会とでもいう場で、会話が始まった早々に出てきたのである。率直な対話であれば、一番気になっていることを素直に語るということが、本来当然のことである。我々日本側の“申し合わせ”の甘さとやましさを痛感した。
色々な意見が出た。正確ではないが、私の憶えている感じをあげてみる。
・民間ベースではなく、日本政府が対処すべきではないか。(韓)
・日本の政府レベルでやるべきと思う。(日)
・韓国政府も日本政府と同じ立場をとっているのではないか。(日)
慰安婦は韓国人だけでなく、日本人の農村からもたくさん出ていった。(日)
・日本人に対するより、韓国女性に対する方がひどかった。(日)
・日本は独自な文化がない。文字も技術も自前のものは全くなく、模倣である。韓国はすばらしいが日本はダメだ。(日) 
・今のままいくと日本はアジアで嫌われものになってしまうのではないか。(韓)
・韓国は男女平等で、姓も別姓となっているが、日本は差別が強く、今、別姓が議論されている。(韓)
・韓国の男女別姓は男系中心の社会で、女性が家系の中へ入れてもらえないからではないのか。(日)
・私の友人には、李ラインによって漁船がだ捕され、家族で暮らしにも困り、今でもそのことが忘れられないといっている人もいる。(日)
交流会は、総じて率直に話が進んだ。特に韓国側の主宰者である姜さん、2人の軍人の方(1人は大尉だときいた)は冷静で、学識の豊かさがうかがわれた(丸山真男の本を言及されて驚いた)。
しかし、少しではあるが、日本人の中にもあるひとつの性癖が表れていたように思う。それは、時流とかその場の雰囲気に合わせた意見を出してしまいやすい性癖である。この時も、「日本が悪い、韓国の方が偉い」という態度でできるだけ平穏にといった感じもあった。私はこのような場では、状況にもよるが、できるだけ相手側の聞きにくいことを率直に話す方が礼儀にかなっていると思う。慰安婦は韓国人だけでなく、もとは日本人だった」ということは言っておくべきだと思った。
特に、日本側の中にいた二人のA新聞OBの方の、日本を非難する追従的発言が強いので、しゃべり出してしまった。
私は率直に話すタイプなので(気にはするが、空気は読まない)、「話の感じからすると、韓国の方々は、韓国女性だけを慰安婦にしていたと感じておられるのではないか。そうではなく、もともと日本人だったのです。そしてずっと日本人の方が多かったのです。だからよいとは思っているわけではない。私はもちろん慰安婦制度に賛成ではない。しかしこの問題は、戦争の中で起こってことなんです。その事情を無視して、今の平和な時の感覚で裁くことはできないと思う。戦争が起こらない世の中を作らねばならんと思うのです」といった。これで何となく次の話題に移っていった。