人形浄瑠璃・一谷雙葉軍記、熊谷桜の段、陣屋の段(博多座)

劇場が文楽向きではないので、極めて見にくかった。それはさて置き、日本の伝統思考について考えてしまった。
一つ目は、日本の伝統庶民文化と天皇制のことだ。常々なぜ天皇制が続いてきたのかということに疑問を持っていた。武力も経済力もない状態が1000年も続いたのに、天皇を崇敬するバックグラウンドは何かということだ。
この芝居を見ていると、敦盛は後白河院落胤であって、天皇に事故があった場合は即位もありうるという前提があり、平家の大将であっても源平両軍ともに助けようとしていることだ。
そして二つ目は、このような空気が庶民の間に届けられ続けていたのだろう。私の子供のころ、戦後すぐに田舎芝居がやってきていた。とにかく娯楽に飢えていたので、空腹で飢えている芝居小屋の連中に、十分な食料を与えた。集落のはずれの芝生広場に、木や竹竿で舞台を組んで、仮設の小屋はすぐできた。そして芝生の上にむしろを持参して座って見た。
このような娯楽状況が1000年も続き、人形浄瑠璃や歌舞伎もどきの田舎芝居に、常に上場する文化状況があったのだろう。武力や経済力はなくても、文化的キャンペインはずっと続いてきたのだろう。