5 私と但馬牛との付き合い

 今から65年前の小学4年生の秋に、我が家に雌仔牛がやってきた。まともな百姓ではなかった我が家は、それまで牛(動力)がいなかった。戦後2年目のことだったように思う。
 子供は大人社会に口出しできない時代だったので、家がどんな暮らしの基盤を持っているのか分からなかった。しかし、田んぼも増やしたようだし、自分の家で耕していくためには牛という動力がいるのである。
 私の牛に関わる仕事は、毎日学校から帰った後、牛に手綱を付けて道路際の草を食べさせに連れて行くことだった。これはどの農家の子にも課せられた仕事であった。夏休みには毎朝、5時半〜6時頃に牛をつれて神鍋山に行って放し、青草を食わせることと運動をさせることが日課だった。
 同年配のどの家の子も、同じように牛を連れて山に行ったので、仲間で遊んでいて牛を見失うことがよくあった。牛は10時過ぎになると、暑さとアブを嫌がって先に家の牛小屋の帰ってしまうのである。ところが、遊びほうけていて見失った我々は、山のアチコチを探してもいないので、しおしおと家に帰って来ると、こっぴどく叱られた。
 どの子も牛の扱いになれているのだが、私は新米なので牛に侮られるし、一年ぐらいは大変だった。