“科学的正確教”の学者は判断力がない

 人類は科学というものを、トータルな判断力の基礎だと考えてきた。しかし現在は、部分的に限定して「その限定部分をコピペして暗記する」人が専門学者なのだ。その専門学者や政治家が集まって、「80パーセント減らしたら収束くする」という判断を集約したものが正しい方針であるはずがない。

 70年代後半から80年頃に、ホーリズムとかとーたリズムなんてことが少しはやった。その頃私は、親鸞の「じねんのことわり=自然の原理」という言葉にだあった。それ以来、自分の考えを”じねん教”だと思っている。

 この”じねん教”が最も科学的だ。この日本教は「おかげさま(自然の、みんなの)」と「お互いさま(みんなで)」で成り立っている。この原理で自然も、人間社会も判断しなければならない。