「アマナツの迷惑便送付完了」―と思ったら、また「送れ」

以下は迷惑便の送り状だ。3月15日にはがきを出したら、予想外に25もオファーが来た。すぐ収穫を始めたが、今年は寒かったので、味が今一つのように感じた。簡単な量ではないので、4月まで収穫をのばした。ちょっと洗って、乾かして送ったのが4月8〜9日になった。

アマナツの迷惑便
いい加減な迷惑行為は「大概にしないといかんかな」と思って、郵便の増税前にはがきを出しました。私の予想は、「7〜8人ぐらいは“送れ”という命令が来るかもしれん」と思い、それには手早く送ってしまおうと考えていた。残ったアマナツは、このあたりの農家がやっているように、「樹についたまま放棄する」でもいいかなと思っていた。
 ハガキを出して翌日に宇佐八幡宮御神体の山=御許山に登りに行った。取り付き口でミカン山の農道が、御神体の山に向かっている私の行動とは不自然に、縦横につけられており、気持ちがかき回された感じで、迷いに迷って気持ちも体力も切れて、登山を止めようかと思っていた。
 そこへ、日頃ほとんどかけてくる人のないケイタイが鳴り出した。丁度「大元神社登山口」という案内が見つかった。それで気分転換になり、迷路も吹っ切れて、アスファルトでない登山道をゆっくり登って行った。頂上の手前には「御許六坊跡」があり、そこに至る途中にも、数百年前の生活の跡があった。ここは何百人もの僧が修業をしていたらしく、近くに水の出そうなところもあった。
 私の感じでは、仏教の伝来・神仏習合以来、多元教の日本の神に、人間関係主義思想の仏僧が、御神体の山で人々の信仰登山をサポートしていた、という雰囲気なのです。これが“日本教”の原点だと思う。
 最近の科学で一応想定されている宇宙の起源は、インフレーションからビッグバンで始まったということのようですが、そして私の身体の60兆個の細胞も、それぞれが自立しながら受け継いでいるらしいから、一元主義や一神教は無理だと思う。私たちは多元多層集団 (1980年頃に、こんな論文を書いたことがある)として生きているわけだから。
 日本は一神教になるとロクなことはない。現人神一神教になり、ロジスティックもなしで多くの若者を戦場で殺し、アメリカの原爆・空爆で普通の日本人が殺された。一神教にこだわる軍幹部や役人は、自分の安全だけを考えてそれを見殺しにした。バブル一神教の頃も、儲けるだけ取り込んで、損失は一般預金者と国民につけた。現在の一神教も、今日の楽だけを考えて「ツケは次世代の子供たちに回せばよい」とばかり唱えている。
マルクスは「資本主義は、発展すると物価が下がるという法則性がある」と云っていた。昔の人のモノや知恵を利用させていただくのだから、当たり前の話なんだが。
 御許山でケイタイが鳴った辺りから、話がややこしくなってしまった。多神教で、神仏習合だった昔の日本人は、次世代のために開墾をし、孫のために桐を植えた。
 御許山の登山道はなかなかの気分で登れた。20日頃には三輪神社の御神体に登ってみようと思っている。       2014.4.8