「行こう、どこにもなかった方法で」新潮社刊

面白いだけでなく、いい気分になる本だ。この本を買う気になったいきさつを書いておこう。この頃気になる本で、日頃関わりが少ない分野については、アマゾンの検索についているカスタマーレビューを覗くことがある。そこでは極端な意見に分かれていた。一つは「面白い」という意見で、もう一つは「身勝手な自己主張だけで、詰まらん」というものだ。以下に、レビューの見出しだけを引用したので見てほしい。
・文章力があり、情景が目に浮かんだ。
・行き当たりばったり人生を書いた自伝本
・やっとわかりましたバルミューダの凄さを
・作者の自慢話を聞いているよう。得られるものは少なかったと言わざるを得ない
・情熱の大切さを思い出した
・結局自己主張したいだけ やってきたことは、面白いと思うが、だから何?っていう文 章。自己満の本。久しぶりにハズレてしまった。評価良いレビューは、ほぼ関係者だと 思ってしまうほどの内容。
私はこのような否定的意見が出ている本は、出来るだけ買って読むことにしている。「面白い」という意見は、極めて主観的に物事をとらえて、感情をこめて読んでいることが分かる。後者は自身の自我関与がなく、客観的に読んでいる。
戦後なのか、明治以来なのか分からないが、文部省の教育方針は客観主義で、物事の判断は客観的でなければならないということにしてきた。しかし本来の研究や開発は、当事者が「主観の限り」を尽くして、いろいろな「思い込み」をして「自我関与の戦い」がなければ何も起こらない。
60年前ぐらいに読んだサルトルの本に「同義反復では、何ものをも造らないし何ものをも変ええない」というようなことが書かれていたことを思い出した。