東京都知事問題

この問題が出てきた時に、まず第一に「これは三人目だな」と思った。一人目は民主党菅首相、二人目が兵庫県議会議員、舛添知事が三人目だ。この人たちは選挙で選ばれているが、それに応えるだけのプライドがない。
なんとなく、公務員の係長級の判断力、指揮能力があるのか疑わしい感じだ。判断力、指揮能力には、それ相応の「リスクをとるという気概」が必要だ。日常のお金の使い方がセコすぎる。
私は零細企業の経営者しかやったことはないが、会社の日常については、少なくとも百万円単位で、四六時中頭が動いていた。幾ら、いつ集金を見込めるのか、月の支払日にはいくらいるのか、このことが意識から外れたことはない。一方、自分の財布については千円単位だった。実際には、仕事の立場上どんな出費があるかわからないので、予備費として個人でカバーするための、十万円は持っていたが。
第二の問題は、九州の炭鉱地帯の土地柄のことだ。九州で最初に驚いたことは「国の建設事業として、通産省管轄の仕事がある」と云われた時のことだ。それは炭鉱を掘ったために地盤沈下を起こしていて、その事業の「補償」の率(利益率) が良くて、ほとんどの人が、別のところの宅地を求めて新築すると云うことだった。
このような事業をすることが、地域にとって立派な手柄のような感じが出ていた。地域に対する”正義”のように見られていた。関西で暮らしてきた人間にとっては、「あの村は、あの地域は、国からそれぐらい余分な手当てをしてもらっている。哀れな土地だ」というような、悔しがる雰囲気があるように思った。
もちろん時代によって、土地によって気分が違うわけで、今では押しなべて「パクリ根性丸出し」かもしれない。
もう一つ、これは舛添問題ではないかもしれないが、マスコミの人々やコメンテーターなども、極めてセコイと感じたことだ。「舛添止めろ」と云いながら「選挙費用がモッタイナイ」と云いだす。情けない話だ。また知事の給与が高いと云いだすし、知事側は「半分カット」してくれてもいいとか、「全額返上」するなどと云いだす。それを評価しかねない雰囲気だ。
日本人全部がセコイ気分になっているのではないか。2000万や5000万円の報酬や、50億円とか100億円の選挙費用など、効果があれば安いものだ。ブツブツいっている人たちは、中国や北朝鮮のような独裁願望なのだろうか。細かく、セコイ世論は、どこからきているのだろうか。選挙権と納税義務をフィットさせねばならんのかもしれない。