舛添辞任

東京都知事の辞任が決まったようだ。この件では、テレビの番組をよく見ていた。その中で、舛添さんが「みんなのいう基準が分からん。そもそも国の金を有利に取り込むのは“才覚”の範囲内ではないのか。つまり“カシコイ”と褒められてもいいことにコセコセ云い過ぎる」と感じていたと思う。
つまり「公の意識」についてスタンダードが違うのだろう。
九州で仕事をしていて、いくらチッポケナ会社でも「上に立つもの(社長など)は、赤字を出しているときは自分の報酬はもらえない」ということが原則だと思ったが、Iさんは「そんなことを考えているのは99%いない」と云った。
知事が報酬を半額、全額返上するということが立派なこととされかねない空気がある。もともとかなりな問題を起こした時には、報酬は飛んでしまっていると思うべきだ。もし続けたければ、家族が内職をして家計を支えながら知事をやればいい。おそらく東京都民は、このことに感動して、余分のボーナスを付けて払おうという子pとになるに違いない。
子供のころから、「良いことをしても自分がやったということは云うな」と云われ続けてきた。私の周辺にはそのような雰囲気が強かった。
今回の教訓を考えて、「公の意識」についての、都道府県別調査をしてみると面白いと思う。例えば次のような調査だ。
ア、会社が赤字でも、社長の報酬は一番多い。
イ、会社が赤字なら、一応幹部社員並み。
ウ、会社が赤字なら、責任を取って、報酬はゼロ。
このようなモラル調査によった土地柄の違いが判ると思う。公務員にもこのような感覚の差を訊ねてみるのもよいのではないか。