段取りのモットイさん

私の育った田舎の戦前の時代は、金物のバケツなどは少なかったから、桶を使っていた。隣が桶屋で、その仕事の手元を見るのが好きで、しゃがんでみていると、太い竹ひごを捌くので、近くにしゃがんでいると「もっと下がって」と、良く叱られた。その小父さんは元治という名前だったように思う。
そこの小母さんは「うちの段取りのモットイさん」と云って亭主自慢が口癖だった。
刀を半分にしたような刃物で、竹を末口から割り、節を取る刃物で滑らかにしていった。それでタガを作って桶にはめていった。5〜6歳の頃ではあったが、”段取り”という言葉の意味が分かったような気になっていた。チャンとするとかウマクやるとかいうような感じだった。
それから20年後の、就職して一年半ほどたった頃、会社が倒産状態になった。船が沈む時には、ネズミがいなくなるという話を聞く。これは本当かどうか知らないが、人間の場合は本当だ。会社が危なそうだと感じると、賢い(要領のいい)ネズミから船を下りて別の会社に就職したり、仲間で仕事を興したりする。わが編集・調査屋の零細企業では、どこにも転職先のない、要領の悪いヤツだけ、沈没確定の傾いた船に残される。
そこで何とか食べるために、再建活動をする組合の委員長にならされた。実際は、運良く我々の持っていた仕事に、何とかオーナーについていただいた。この方が非常に優れた、信頼のおける経営者で、以後の私の経営の師匠だと思ってきている。
残ったメンバー十数人で、とりあえず一年どう生きるか、三年の見通しをどう付けるか、そのためにはどれだけ稼がねばならんか、など全員で十分意思統一をした。収支の数字も全員が共有した。 
どんな集団にも、何か言うと、一寸皮肉な言葉を挟まないと、動かない人がいるように思う。こういう人がいるとなかなか能率が上がらないし、雰囲気も良くない。本人に悪気があるのではないので、やりにくい。ところが、全員で意識の共有が出来た後では、全く様子が変わった。
私より10才ぐらい年上の人であったので、「糸乘くん」と呼ばれていたし、年下でもあるので簡単には頼みを聞いてくれなかったのに、再建過程に入ったら、「糸乘さん、次に何をした方がいいですか」と聞いてくれるようになったし、考えて仕事をするようになった。当然、以前の3〜4倍の仕事量は簡単だ。
この会社は、運も良かったが、みんなもいい雰囲気で働けるようになった。ねたみのような感じは全くなくなった。1年余で、以前よりよい経営状況を目指せるようになった。
20才代の頃にマルクスを読んで、「労働価値説」には感心していた。高校生ぐらいならそんなものだろう。マルクスに文句を言う気はないが、「筋肉細胞労働価値説」より、「脳細胞労働価値説」では、労働生産性は、人によって十倍〜百倍の違いが出ることが自明のこととなる。カンのいい人、日頃から勉強をして鍛えている人は、言われたことしかしない人の数倍の仕事が出来て当然だ。
今の日本に必要なのは、「カンや知恵を生かして、中国より儲かる国にする」という将来像の組み立て、仕分け、段取りではないか。現代の日本のモノづくり労働は、肉体労働の比率は僅かで、ほとんどが知的労働だ。全員が段取り(マネジメント)を意識しないと日本が消えてなくなる。