我らは駅伝動物だ① 心と体の二本のたすきを受け取り、次世代へつなぐ

今年の正月に、テレビで駅伝を見ながら、人類のつないできたタスキのことを書き始めていたら「駅伝マン」という本を見つけた。早速アマゾンに注文した。
「駅伝マン・日本を走ったイギリス人」という本は、星印をつけるなら、五つ以上つけたい。このアダーナン・フィンという著者は、並みのノンフィクション作家ではない。書くことに対して、自分もその中に入り、主観的にとらえようとしている。
ノンフィクションは、そのテーマの‟今”を書くことだから、客観的態度はあり得ない。著者の視点の面白さは、「駅伝は『和』の精神を完璧に具現化する競技」だと云い、全員が一丸とならねばならないといいながら、最も「孤独な」競技だととらえていることだ。多くのチーム員の中で競技に出られる人は限られている。故障して交代要員が出ることもある。そして走るのは常に一人だ。
138億年前のインフレーションのところまで行って確かめたわけじゃないが、ビッグバンのところを見たわけじゃないが、その時から一回も途切れることなくつながって来たらしい。
人間という動物がアフリカあたりで生まれたらしい。7万年ほど前にその辺りが暮らしにくくなって、難民になり、今の地球でいう中東あたりを通って、ヨーロッパやアジアの方へ向かったらしい。そして何度も何度も難民になりながら、地球のあらゆるところへ旅をつづけた。