「惜檪荘だより」という本が面白い 

著者は時代小説書きの超売れっ子で、月2回文庫本のベストセラーを出している。この佐伯泰英が熱海に仕事場を設けて書き物をしていると、下隣の立派な建物が壊されかけるというところから話が始まる。
壊されたら見られないので「ちょっと見せていただけないか」と頼んで見せていただき、その建物の凄さに驚く。惜檪というわけだから檪の木があるのだろうが、その数寄屋建築の配置、相模湾や小島の風景の取り込み方など、吉田五十八岩波茂雄の建築に対する情熱がうかがわれた。
そのことの証人がアンジェイ・ワイダのスケッチである。この本の91ページにあるが、スケッチの域を超えている。広重の「驟雨」の浮世絵を見るようだ。つまり彼は浮世絵を見ていたということの証でもあろう。ワイダが一泊してこの絵を残していったということが、「惜檪荘」を物語っている。我々世代の「灰とダイヤモンド」や「地下水道」に感激したものにとっては、この上ない傍証だ。
これは超主観的ドキュメンタリーだ。
この本を読んでいて特に感じることは、この著者の立ち位置が、建物の内と外、この建物に対する気持ちの立場=これを見つけて解体し再建築に取り掛かった自分と、元の主体であった岩波茂雄吉田五十八の間を往復することである。さらにこの解体・再建をサポートしてくれる職人さんなどとの行き来も面白い。
さらに、彼の今に至る以前の仕事・体験であるイタリアでの写真家としての仕事も語られていて、それもなんとなく惜檪荘の再建の仕事にかかわっているように思う。
 とにかくこの本は、惜楽荘を出たり入ったり、ひとにたづねたり、昔の話をほじくったり、材質を見たり、縦横に立ちまわりながら「主観的」に書いている。ドキュメンタリーは客観的なものという勘違いをした本を見かけることがあるが、主観的でなくて本質に近づくことができるはずがない。
久しぶりに主観的な気分で「思い込みの激しい」客観的な表現力のある本を読むことができて楽しかった。
もうひと余禄があった。というのは、60年餘前、私の里のかやぶきの家を、瓦屋根の家に
改造した時の思い出だ。まだ二十歳にもなっていなかったので、棟木を載せるあたりに上って元気に手伝っていた。丁度そのとき、棟木が東西を間違えて上がってきた。
その時「それを担いで振り回せ」と言われてしまった。まだ棟木が載せられていないので、ぐらぐらするような合掌梁の上で、松丸太の棟木を担いで振り回す勇気がなかった。誰でも無理だろうと思って、下におろして振り変えるものと思っていたら、30歳前ぐらいのあにきさんが上がってきて、少しサポートを受けながら見事に振り回して棟木に治めた。
「プロはさすがだ」と思った。昔の思い出だ。