仲代の“日本の悲劇”を見たが、つまらなかった

全く、仲代も北村や寺島しのぶも、何を表現したいのか気持ちが伴っていない。なんだか惰性でやっているだけ。
もともとこのシナリオ、シチュエーションでは、お話にならないのだろうが。そもそも住宅の一間に閉じこもって自殺をしようと云う考えは、動物たる人間様に考えではない。ロボット化した機械の行動だ。
日本は、すごい山国だ。富士山麓の青木が原と云うところが自殺の名所らしいが、そこまで行かなくても、近くの山で迷ったら自力では出てこれないような山が、いたる所にある。
この糸島の南側に背振山系があって、一人で8〜900メートルのところに登った時、見通しのきかないところで道に迷ったら、出られないかもしれないと感じた。
また会社の人の父親が、歴史趣味だったのか、宮崎県の諸塚村のほうへ行かれて、道に迷ってしまい亡くなられたが、大規模の捜索をしても分からなかった(数か月後に発見された)。
この映画は、死亡時期をごまかして、年金を子供に受け取らせようという意図を描きたかったようだが、面白みに欠ける。
私がストーリーを考えるなら、①まず父が「もう十分生きたから、日本中を6か月間の旅をする。6か月後の誕生日の日に人里離れた土地で、自分で穴を掘り自動的に土をかぶせるような仕掛けで、始末をする。6か月後に死亡・不明の届けを出せ」と云って旅に出る。②息子は心配で狂乱状態になり、つい、友人に云ってしまう。③その友人に、たまたまテレビ屋がいて、その捜索を番組にしてしようと言い出す。④一方父親は、のんびりと旅を楽しんでいる。⑤息子は狂乱状態で、テレビ番組と一緒に追っかけるが分からない。⑥こののんびりと悲壮を対比させてコミカルに描き続け、各地の温泉地めぐりをする……と云うようなものにしたい。